気づくことの大切さ、ペインボディが活性化した時に、それに飲み込まれず、あ、今、私のペインボディが反応しているなと気づくことの大切さを学んだ第六章。
第七章のタイトルは、シンプルで分かりやすい。
だが内容は、ものすごく分かりにくかった。
本当の自分を見つけるのに、時間の話が出てきたり・・・。
長く読み継がれている本なのに、どうしてこんなに難解なんだろう。
自分を知るとは?
「汝自身を知れ」
人生における最大のそして最も大切な問いは、「自分は何者か」という問いだ。
どんな予言も託宣も、自分を知ること以上の価値はない。
自分自身を知るとは、過去にも未来にも流されず、「いまに在る」に根を下ろすこと。
私が考える私とは、なんだろう。
名前、性別、居住地、家族構成、学歴、職歴等、履歴書に書くような事柄から、好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、やってみたいこと等、少しプライベートな部分、そして心の傷や信念や大切にしたいこと等、深淵にあるものまで、私を構成するパーツは階層に分かれて沢山存在する。
だがトールは、それはどれも私自身ではないと言う。
私の反応を引き起こすのは、私の中のエゴ。
他者への投影を通して、自分のエゴが見える。
相手の中のなにかに反応するのは、自分の中にも同じもの、つまりエゴがあるからで、反応が自分のエゴを教えてくれる。
ただしエゴは私自身ではない。
エゴに気づいたからといって、私を知ったことにはならない。
また他人にどう扱われるかを、物差しにすることもできない。
現実創造の仕組みは、常に自分発だ。
自分が自分をどう捉えているかが、現実を創り出す。
だから他人から大切にしてもらえない、愛してもらえない現実があったとしても、それは自分が自分を大切にしておらず、愛してもいないことの現れなのだ。
愛情を含め、すべての豊かさの源泉は自分の中にあると気づくと、外側の現実も呼応する。
自分自身を知ることとと、自分自身について知ることは、同じではない。
自分自身について、過去と現在の諸々の事実をつまびらかにしても、それはその人についての情報であって、その人自身ではない。
あなた自身は情報ではないのだ。
反応しないこと
人は起きる出来事に、善悪の判断をしがちだが、ひとつひとつの出来事を善と悪に分けていたら、思考は断片化されてしまう。
物事はそれぞれが深く関わり合っていて、単独で成立してるわけではない。
宇宙の視点から見ると、善も悪も一時的な真実を示しているだけだ。
起きる出来事をいちいち判断せず、反応もしないことが宇宙の真理への道だとトールは説く。
何が起ころうと気にしない。
良いことであろうと、悪いことであろうと、起こった出来事と自分の内面は調和している状態。
つまりそれはエゴの反応に、自分を明け渡していないということである。
「いま」とどう付き合うか
「いま」と自分の関係が機能不全ならば、それはあらゆる関係、あらゆる状況に反映される。
言い換えるなら、エゴは「いま」との関係の機能不全だ。
「いま」とどんな関係を結びたいかを決められるのは、「いま」しかない。
「いま」とどんな関係でいたいかは、「人生」とどんな関係でいたいかと同意である。
人生と友だちでありたいのか、敵でありたいのか、それを決めるのは「いま」だ。
友だちでありたいのなら、自分から働きかけるしかない。
どんな出来事が起ころうと、それを友として歓迎する姿勢をとる。
そうすると人生も、あなたを友として扱うだろう。
現在という瞬間を友として扱う決断は、エゴの終焉を意味する。
エゴは決して現在という瞬間と仲良くできないし、人生と調和できないからだ。
常に過去か未来のことを考えていれば、過去の記憶や未来への不安が人生を決めてしまう。
「いま」にYESと言おう!
心理的な時間
時間には2種類ある。実用的な時間と心理的な時間だ。
実用的な時間は、私たちが生活するのに不可欠な1日24時間の時間。
起きる時間、食事の時間、仕事の時間、通勤の時間、家事の時間、入浴の時間、寝る時間。
私たちは時計を見ながら、スケジュールやルーティンに沿って行動する。
これは現実生活に必要なものなので、問題ない。
だが心理的時間は、昔〇〇された、また同じ事になる、この人は変わらない、いつか幸せになると、過去や未来に起因する。
これは思考が作っている時間であって、人間関係の苦しみはほぼここから生まれるとトールは言う。
現在の状態や起こっていることは、「いま」がとる形だ。
もし目の前の「いま」の形に抵抗し、ありのままを受け取らず、過去の記憶に照らし合わせて、抵抗し続けるならば、現実はゆがむ。
過去に傷つけられたから、今回もそうに違いない・・・と思い込む。
今回は全然違うかもしれないのに、その可能性を自ら潰してしまう。
そうやって過去に囚われていると、エゴは肥大する。
目の前の現実を、過去のフィルターを通さず、ありのまま見て、抵抗しない。
そうすれば、人生はあなたに微笑む。
生きる喜びは、形や所有や達成や人間や出来事を通じてもたらされるのではない。
喜びは外からではなく、あなたの内側、つまり意識そのものから湧き上がってくる。
縮小は拡大
誰かに批判されたり、拒絶されたりした時、エゴは傷つき、自分が縮小したように感じる。
エゴは無意識に、反論したり正当化したりしようとするだろう。
そんな時、もし気づいたのであれば、即座に反応せず、そのまま観察してみよう。
やがて損なわれたように思えた自己が、なにひとつ損なわれていないと感じるだろう。
確かなものはなにも縮小しておらず、かえって拡大している。
小さくなることによって、あなた逆に大きくなり、「いまに在る」状態が立ち現れる場所ができるのだ。
Chikakoの感想
感想もなにも・・・、形とか時間とか、しっかり捉まえられない概念が散りばめられていて、今回も惨敗感でいっぱいだ。
「時間」と訳すからややこしくなるのであって、過去と未来とか、今ではない時とかと言い換えるといいかもしれない。
人間関係をはじめとする人生の苦しみは、相手の問題でも、性格でも、相性でもなく、「いまにいない」ことが生み出している。
苦しみは過去か未来にしか存在しないことを認識し、現実の関係は常に「いま」でしか起きていないことを知る。
その上で「いまにあれ」ば、問題はただの状況となるが、「過去や未来にいれ」ば、問題は物語となってあなたを苦しめる。
この章で、トールは人間関係の話をしているようで、実はずっと意識の話をしていたのではないかと思う。
人間関係は、ほんとうの自分に気づくための鏡である。
