この作家さんの他の作品も読んでみたい…と思わせる本に出逢うと、とても嬉しくなってしまう。
古内一絵さんのマカン・マランは、まさしくそんな一冊だ。
マカン・マランとは、インドネシア語で夜食カフェの意。
商店街の外れの路地裏にひっそりとたたずむ古民家風のカフェ。
中庭にはシンボルツリーのはなみずき。
でも昼間の店先には、けばけばしい服や靴が並んでいる。
そう、日中、この店は、おかまさん御用達の服屋で、夜だけカフェになる。
カフェに集まってくるのは常連さん。
みなそれぞれに、一人掛けのソファに座り、お夜食を楽しむ。
カフェの主人は、身長180㎝、ピンクのおかっぱのかつらをかぶった、胸板隆々のシャール。
もちろんおかまだ。
この作品では、おねえだとか、LGBTだとか、ニューハーフだとかの代わりに、堂々と「おかま」を使っている。
それが全然嫌味でもなく、上から目線でもなく、ちょっとユーモラスでしっくりくる。
ただ本人たちは、おかま呼称を嫌がり、品格のあるドラァグクイーンだと主張するが・・・。😅
このシャールが作る料理の数々が、とても魅力的だ。
カフェに迷い込んでくるのは、たいてい人生に疲れ切った人たち。
シャールは、その人たちの顔つきや姿勢から体調を見抜き、内側から元気にしてくれる食事を供する。
たとえば貧血で倒れた塔子には、身体が冷えているから…と、春野菜のキャセロール。
春のキャベツには胃や十二指腸を調える成分が多く、スープのとろみ用のくず粉には、疲れた胃の血管を若返らせる効果がある。
ソバの実とひえを加えたのには、陰性の身体を中庸に導く意図がある。
また不規則な食事と働きすぎで、ニキビに悩むさくらには、もちあわと南瓜のスフレ。
あわと南瓜には、脂質と糖質の代謝をよくする働きがあり、身体にこもった熱が自然に発散される。
仕上げに、女性の髪と肌を美しくしてくれるシナモンを一振り。
食後には、シャールが煎じたお茶。
メタボな中年男には、プーアール、ミント、大麦ともちきびのブレンド。
暴飲暴食で陽性に傾いた身体を、中庸に戻す働きがあるらしい。
そんな隠れ家カフェを巡る4つのストーリー。
4人の主人公は、それぞれマカン・マランにやってきて、重すぎる荷物を下ろし、シャールの料理とお茶に癒される。
いつもカウンターに陣取って新聞を読んでいる中年男・柳田は中学校の教師。
学年主任を仕方なく引き受けている。
担当する1年生の璃久は、ある日を境に、母親の作った食事を一切食べなくなった。
口にするのは、ファーストフードかコンビニのおにぎりだけ。
その理由を璃久は頑として言わない。
母親は困惑し、若い担任教師は家庭の問題だと憤慨し、面倒はなるだけ避けたい柳田は、「まあ、しばらく様子を見ましょう」とスルーする。
だがひょんなことから、柳田は璃久をマカン・マランに連れていくことに。
「お母さんには絶対言うなよ。」と釘をさして。
璃久はシャールの料理にも手を付けないが、シャールは怒るでもなく、次の来訪の時、「ちょっと手伝ってよ」と璃久を誘い、一緒にカレーパンを作る。
「どおりゃあああああ!」と雄たけびをあげてパン種を叩きつける様子は、女性の格好をしていても、やはり男ならでは。
ある日、璃久は生物部の合宿で、カレーと豚汁を口にした。
カレーと豚汁だけOKなのは、どうしてなのか。
その理由が明らかになり、璃久とシャールは再びカレーパンを作ることになる。
そして事なかれ主義だった柳田も、教職についたばかりの頃の熱い気持ちを思い出す。
テーマはお料理ではなく、人の成長や気づきや旅立ち。
そしてベースにあるのは、相手を思いやる優しい気持ち。
春のキャセロール、金のお米パン、世界で一番女王なサラダ、大晦日のアドベントスープと、4つのお料理から広がるストーリー。
読み終わってしまうのが、どうしようもなく惜しい…と思っていたら、マカン・マランには続編があと3冊あるという!
嬉しい、早速本屋さんにGO!