須須神社に1時間も遅れて到着した私たちを、先着組は「お疲れ~~」と出迎えた。
神社の看板を読んだり、ネットで検索したり、お喋りしたりしながら、のんびり待っていた・・・とのこと。
この大らかさに、救われるし、和む。
須須神社
須須神社は、日本海側一帯の守護神。
創建は崇神天皇の治世・・・、調べたら紀元前97年から紀元前29年、つまり縄文時代、キリスト生誕よりも前😲
この場所に移転したのは、天平勝宝年間(749年~756年)。
そんなに古い時代のことを、どうやって知るのだろう。
私たちは、この由緒ある神社に呼ばれたのだと思う。理由は分からないけれど・・・。
海のすぐそばに鳥居があり、その奥に参道が延びている。
さすがに能登の突端まで来る人は珍しく、すれ違った参拝者は私たちの他に2組だけ。
一礼して鳥居をくぐる。

鬱蒼とした森のような参道。
木漏れ日と鳥の声が頭上から降ってくる。

灯籠が倒れ、石垣も多少崩れていたが、津波の被害は受けなかったようだ。
異世界のような趣。
今、私たちはどこにいるの? と問いたくなる。
余談だが、ポニーテールの彼女は、この3日間ために3種類のネックレスを持参した。
服装に合わせてアクセサリーを変える女子力の高さに、締め付けない、暖かい、楽チンの視点しかなかったワタクシは、これじゃいかん・・・と反省したのだった。😅
装いとは、もちろんお洒落ではあるのだけれど、行く先々の土地への敬意の表れでもあるなぁと。
そんな彼女が上った石段の先に、どこまでも静かで厳かに佇む本殿。

架けられた絵馬には、個人的なお願い事もあったが、能登が元気になりますように、元の姿を取り戻しますようにといったお願い事が圧倒的に多かった。
ひとりずつ、ゆっくりお参りをした。

私たちはどうしてこの神社に呼ばれたのか・・・。
答えはまだ分からないけれど、そのうち明らかになるだろう。

神社の前には、穏やかな海が広がっている。
「能登はやさしや 土までも」とはよく使われるフレーズだが、まさに優しさを体現するような海の色だった。
道の駅・すずなり
往路で1時間のロスがあったため、とっくにお昼時間を過ぎていて、お腹が空いた。
道の駅・すずなりで休憩することにする。
旧珠洲駅の跡地に建てられた施設で、本物のプラットフォームが残っている。
地震による建物への被害はほとんどなかったが、周辺道路がズタズタで、4ヵ月ほど営業を停止していた。
今はお酒や塩や乾物など、能登の特産品を取りそろえ、食堂とともに元気に営業中。
まずはすずなり食堂で腹ごしらえ。

もう14時近くだったので、食堂内は空いていた。
券売機でお金を払うと、番号が印刷された紙が出てきて、自動的にオーダーが通る、道の駅によくあるシステム。
メニューは牡蠣フライ定食、カレー、焼き鯖定食、かき揚げうどんなど。
ところが、私たちの前でご飯がなくなってしまい、炊き上がるまで20分かかると言う。
もちろん、全員笑顔で、「待ってま~~す💕」
麺類に変更するお客さんもいたが、ほとんどはご飯が炊き上がるのを大人しく待っていた。
被災地にわざわざ足を運ぶようなお客さんは、カスハラとは無縁な人たちばかり。
待っている間に、すずなり館でお買い物。
私は天然岩のりと青さのりと珠洲産のひゃくまん縠(石川県のブランド米)を買ったよ。
食堂の隣ではお弁当も販売していて、復興に携わる人たちの胃袋を支えている。
カフェ・月ノカケラ
時刻は15時半を回る。
レンタカーの返却時刻もあり、そろそろ帰途についたほうがいい。
・・・が、まだ1件、寄りたい場所があるという。

最後のスポットは、能登町にあるカフェ・月ノカケラ。
海岸線の高台にブルーシートに覆われた、ぽつんと一軒家。
まさか営業中のカフェとは思わず、一度通り過ぎてから、とって返す。
まぁ、海はきれいなんだろうけれど・・・とあまり期待せずに店内に入る。(←超失礼😅)

窓辺に座るお客さんも含めて、一幅の絵画だった。
よく見つけたね、こんな隠れ家的カフェ。
「インスタで、たまたま見て・・・」って、アンテナの感度、高っ!

コーヒーは、苦めと軽めのいずれかを、サイフォンで丁寧に淹れてくれる。

苺のロールとアップルパイとともに。
月ノカケラは、なんとこの日が移転前の最終日だった。
オーナーが建物を取り壊すことにしたが、直前になって一部を残して改装することになった。
改装後にまた貸してもらえるかは分からないので、とりあえず近くに移転するのだそうだ。
じゃあ、この”絵画”を鑑賞できるのは、今日が最後かもしれない。
絶妙なタイミングだなぁ、私たち。
夕陽に送られて
さあ、ここからは一路、加賀温泉駅前のレンタカー屋を目指す。(加賀の人たちは、加賀温泉駅をカガオンと呼ぶのが、面白い)
返却時間は19時半。ギリギリすぎる・・・😅
金沢経由の車と小松経由の車が、デッドヒートを繰り広げながら、能登を南下する。
高松SAでいったん落ち合うつもりだったが、時間が押しているので素通り。
でも車中では、2台の間で盛んにLINEが飛び交っていた。
「次は千里浜に水着で集合」に、「了解!」のスタンプが瞬時に返ってくる。続いて「みんなで着れば怖くない!」
必死に車を飛ばしながらも、爆笑が絶えなかった。

千里浜に真っ赤な夕陽が落ちてきた。
この旅の間に、義援金食パンの会のリーダーは、「1年のつもりで始めた活動が終わって、もう1年続けることにしたけれど、1年と言わず、あと10年はやり続けたい」と決意を新たにした。
最初は總持寺のためだったが、總持寺は国からの援助が確定したので、今度は能登のために。
10年の間には、きっといろいろあって、メンバーも入れ替わるかもしれない。
でも息の長い支援を、自分のできることをしていきたい・・・と。
今回、私たちはボランティアではなく、能登に遊びに行った。
だけど同じ石川県民でも、能登には行けない・・・と言う人がたくさんいる。
そこには能登のみなさんのご迷惑になってはいけないという遠慮もあるだろうし、現実を見るのが怖いという気持ちもあるだろう。
でも、知ってほしい。被災地能登で暮らす人々は、意外に元気だ。
確かに大きな打撃を受けて、生活の基盤を失った住民も多いが、みんながみんな、泣き暮らしているわけではない。
なにがあっても陽は昇り、朝が来て1日が始まる。
その1日1日を逞しく生きている。人間ってほんとにすごい。
そんな同胞に会いにいくこと、言葉や笑顔を交換すること、実際に体温を感じながら交流すること、一緒に生きるとは、そういうことではないだろうか。
「人はそれぞれ。でもそれでいい。だけど私は能登へ行く」
リーダーの決意の言葉には、気負いも悲壮感もない。
ただそうしたいから、そうするだけ。

まるで修学旅行のような楽しい2泊3日だった。
こんなに腹を抱えて笑ったのは、いったいいつぶりだろう。
素敵な企画を練り上げて、腰の重い私を引っ張り出し、ともに貴重な経験をし、想いを分かち合ってくれた仲間たち、本当にありがとう。
長いレポートを読んでくださった貴方も、本当にありがとう。