癒やしの村・喜楽楽で目覚める朝。
障子を通して届く柔らかな光の中でふと横を見ると、隣の布団はもぬけの殻だった。
お隣さんがいつ起きたのかも全然気づかないほど、深く眠っていたようだ。
喜楽楽の2階には和室が4室。
畳に布団・・・って、けっこうよく眠れるなぁ。
上げ下げが面倒なので、ずっとベッド生活だけれど、お布団の良さを再認識。
喜楽楽の朝ご飯
階下に降りると、軽快なリズムで包丁がまな板をたたく音が聞こえる。
自分で準備しなくても朝ご飯を食べられるなんて、もうそれだけでし・あ・わ・せ💕
チバちゃんの朝ご飯は、パン食だった。(絶対和食だと思い込んでいた😲)

シンプルだけど、力強い。
ピザにはお手製のフキノトウ味噌が塗ってある。
そういえば喜楽楽の周りは、あっちにもこっちにも黄緑色のフキノトウたちが顔を出している。
野菜も自分で育てているし、なんかもうほんとにチバちゃんに作れない物なんて、この世にないのかもしれない。
キノコのスープも優しい味で、心身に沁みわたる・・・。
チバちゃんがその場で切ってくれた食パンは、これもお手製。
自家製の柚子ジャムとともに。
(メンバーの1人は、残った半斤を頼み込んで購入していた)
この心づくしのお料理を、朝食は900円、夕食は2000円で提供していると聞き、絶対安すぎる、見合った対価を取った方がいいと、全員で説得にかかる。

チバちゃんと一緒にパチリ。
彼女にとっても私たちとの時間は楽しかったらしく、帰り際、1人1人と握手して別れを惜しんでくれた。
一緒にクレイのレクチャーも聞いたしね💕
中西香月堂
最終日、私たちが最初に向かったのは、お菓子屋さん。
總持寺の門前に、プレハブの仮設店舗で営業している中西香月堂さん。

ここは能登出身のnicoさんが小さい頃から親しんだ和菓子屋さんで、なにかあるとここのお菓子を箱買いしていたとのこと。
事前に個数の希望をつのり、利休饅頭と鶯餅の予約をしていた。
その数、なんと66個。
・・・予約して正解だね。飛び込みで66個なんて、お店を慌てさせちゃう。😅

できたての利休饅頭をその場で頬張ったら、なんだかとても懐かしい味で、うわぁ、美味しい💕と、しみじみ味わってしまった。
被災地に咲き誇る梅の花
中西香月堂のすぐそばに、nicoさんのご実家がある。
今は誰も住んでいないが、お彼岸でもあるし、思い出がいっぱい詰まったご実家をみんなで訪ねてみた。
樹齢何百年だろう・・・。
地震で傾いたお庭の大きな木が、隣の木に寄りかかりながら、それでもしっかり立っていた。
この家の守り神かもしれない。
子どもの頃のnicoさんがそうしたように、みんなで守り神に抱きついてみた。

この家を守ってね。
この地域を守ってね。
能登を守ってね。
誰もいない庭に、みごとな梅が今を盛りと咲いていた。

ボケた写真で申し訳ないが、梅の周りに数え切れないほどのオーヴが写っている。
紅梅もあったのだけれど、その下に、頭に薄いベールをかぶった平安時代のお姫様がいたような気もする。
梅の精かな?

オーナーの許可を得て、ひとりが紅梅の枝を持ち帰った。
梅は挿し木ができるのかしら。できることなら、命を繋いであげたいけれど。
珠洲まで行くことにした
この日の目的地は、能登の突端、珠洲の須須神社。
同じ能登でも、珠洲は遠い。
金沢からだと155㎞もあり、途中まではのと里山海道があるが、穴水からは一般道なので、時間にして2時間40分もかかる。
だけど門前からなら、1時間20分ほどで行けるはず。
輪島や珠洲は一番被害の大きかった地域で、能登出身の人はどうしたってあの日を思い出してしまうし、氣の影響を受けやすい人にとっても、キツい場所だと思う。
旅程を考える段階で、珠洲はやめておこう・・・という空気もあったが、誰からともなく須須神社の名前が挙がり、そんなに気になるのなら、行ってみようということになった。

2台のレンタカーは、途中ではぐれてしまった。
でもナビがあるから大丈夫だもんね~~とお気楽だった私たち。
1台は半島を横断する道(たぶん珠洲道路)で、まっすぐ珠洲へ。
でも私たちの車は、ナビを設定するのが遅かったのもあるが、なんと輪島の海岸線に出てしまった。
千枚田に到達するに至って、道を間違えたことにやっと気づく。
この時点で、私たちのナビは須須神社まで1時間20分と表示していた。
もう一台に連絡をとると、あと20分で着くという。
後戻りすれば、さらに遅くなる。もうこのまま行くしかない。
✵ここから被災状況の画像を表示します。

でもこの道、なんかヤバくない?

びっしり積まれた土嚢の向こうはもう海。
道は整備されているが、千枚田から先に行く車は私たちだけ。
海沿いの町に入ると、発災から1年以上経過しているにもかかわらず、未だに看板に引っかかったままの車があったりする。

あの美しかった能登の海岸は、見る影もない。
海岸線の道は途中までしか開通しておらず、ナビに従って山側へと折れる。
人気のない集落を抜け走っていくと・・・。

ひと言で表わすなら、”手つかず”。
むき出しのまま、風雨にさらされている。

人の気配がしないのは当たり前だ。こんな状態で、住めるわけがない。

重機が入っている家屋もあったが、きっとこれは再建のためではなく、取り壊しのためだろう。
一帯を重苦しい空気が包んでいる。
やがて車は山中へと進路を取るが、すれ違いなんかできない細い山道で、左側は崩れる土砂をかろうじて土嚢で押しとどめているだけ、右側は崖・・・なんていう、恐怖ですくみ上がるような道をくねくねと走っていく。
ドライバーは神経を使って疲れ切っていたが、私もこんな道を運転する自信がなくて「交代するよ」と言い出せない。
山を越えて、やっと人里に下り、初めて人の姿を見た時の安堵感は、筆舌に尽くしがたい。
それでも、こんな怖い道ではあっても、一応、繋がっている。
孤立集落はないのだ。
過疎化激しい能登ではあるけれど、復興が遅いと外野は文句を言うけれど、ちゃんとアクセスできるのだ。
復興にはもちろん優先順位がある。
身の安全と衣食住は最優先されるべきだが、道を繋げることも、大切なことだと痛感した。
さて目的の須須神社は、いずこに・・・?
