昨夜、はしゃぎすぎたからか、眠りが浅かった。
普段は寝ぼすけの私が、ふと目覚めたのが6時前。
カーテンを開け放して寝ていたので、すでに夜が明けていることが分かる。
ベッドの上に半身起こした私の目に飛び込んできたのが、これ。

七尾湾に陽がのぼる。
ガバッと飛び起きて、カメラを掴む。
凪いだ水面を朝陽がオレンジ色に染めていく。
隣ですやすや寝ている人を、揺り起こす。
だって、絶対、見たいでしょ、これ?

神々しい。
言葉もなく見惚れる。
人は自然の美しさに圧倒され、ただただ感動している時、高次元と繋がると、レイチェル・カーソンは言う。
そこに「朝陽」とか「日の出」という説明を付けた途端に、現実に引き戻され、次元の扉は閉まる。
地球という美しい星の片隅で、小っちゃな小っちゃな自分も雄大な自然の一部なんだと胸を震わせる、尊い時間だった。

チェックアウトは11時なので、昨日の残りご飯で作ったおむすびをつまみ、ゆっくり身支度をしながら、tonot組の合流を待つ。
碧凪の周りを散歩したり、海に向かってこぐブランコに乗ったり、強気の子育て論に感嘆したり・・・。
家にいると仕事のない日でも、なんらかの雑事に追われてバタバタしている私たち。
何もしなくていいことが、なによりもの贅沢なのだ。
輪島市門前へ向かう

2日目は、中島町を離れ門前へ向かう。
以前は鳳至郡だったが、今は輪島市門前町になった。
曹洞宗総本山總持寺の門前町だったことが、名前の由来とのこと。
七尾市は内浦(内海)だから、地震の被害はあったが、津波に飲み込まれることはなかった。
だが外海に面した地域は津波に襲われた。
半島を横断して外浦に出ると、仮設住宅が立ち並ぶ。
あっちにもこっちにも仮設が列をなす。 こんなに多くの人たちが、家を失ったのか・・・。
舗装された道路なのに、海岸沿いの道は砂だらけだった。

今にも砂に埋もれてしまいそうだ。
画像のすぐ右手は海・・・・・・だった。
だが地震で海底が隆起して、海は100㍍ほど沖合いに行ってしまった。
つまり陸になった海底の砂がむき出しになり、風に巻き上げられて陸を浸食しているのだ。
日本で唯一車で走れる千里浜は、波に浸食されて年々狭くなっているのに、ここでは砂が道路を覆っていく。
果たして人の力で止められるのだろうか。
海辺の食堂・杣径

向かった先は、海辺の食堂・杣径。
2023年夏、輪島の静かな山の中にオーベルジュとしてオープンした杣径だが、半年後の地震で全半壊。
しばらく金沢市内の仮店舗で営業していたが、2024年9月、輪島市門前町の海際で食堂として再オープンした。
復興に携わる人や近所の人に、元気が出るような食事を提供したい・・・と、あえて食堂と銘打った。
能登の素材を最大限に生かすため、調味料は必要最低限しか使わない。
お米も七尾産の自然栽培米・日本晴。噛むほどに甘みが増す。
シェフの北崎裕さんは実はとても有名な人らしく、県外からのファンも訪れるとか。

そんなこと、何も知らずに、足を踏み入れると、大きな黒漆のテーブルが待っていた。すごい存在感。

前菜は、輪島塗の椀に。
椀の黒と鮮やかな食材の対比。余白を生かした盛り付け。息をのむほど美しい。
左が菜の花の酢味噌和え、右が豆腐と蛸とじゃがいも。
滋味が染み渡るって、こういうことかな・・・。

メインディッシュ。
ふきのとうや115椎茸やごぼうやレンコンや人参が、天ぷらや炊き上げやソテーなど様々な調理法で、ビーツのソースを添えて供される。
ゆっくり噛みしめて、ひとつひとつを丁寧に味わった。

床の間には、as it is.
そのままで、あるがままで。
たくさんのものを失ったけれど、今、ここでできることを。

杣径の隣の家は、こんな状態。
未だ手つかずのまま放置されている。
つぶれた屋根の隙間から、段ボールや手提げが見えた。
ここにも確かに誰かの営みがあったことを思うと、切なさがこみ上げてくる。
でもこれが能登の現実なのだ。
曹洞宗大本山總持寺祖院
午後は、この旅の目的でもある、曹洞宗大本山總持寺祖院を拝観する。
鳥居の前で足が止まる。鳥居の柱がずれていた。
見回してみると、発災から1年以上経過しているというのに、石垣はくずれ、灯籠は横倒しのまま放置されている。
片づけないのではなく、片づけてはいけないのだ。
總持寺は国の登録有形文化財なので、勝手に手を付けてはいけないとのこと。
それにしても、毎日、毎日、1年以上もくずれた石垣を目にする近所の人たちは、傷口がえぐられるようで、やるせなかったことと思う。

手水舎の屋根は落ちたまま。

参道にあるお稲荷さんのお堂は、土台からずれている。

通行禁止の橋。

本堂はかろうじて立っているが、横の灯籠は転がり落ちた。

手を付けてはいけないのだけれど、つっかい棒で補強しないと崩れてしまう。無残・・・。

こんなに重そうな石が地震の震動で、180度回ってしまった。・・・どれだけの爆発的な揺れだったのだろう。
今回の地震で、登録有形文化財17棟を含む、全41棟の建物が被害を受けた。
修復には38億円の事業費と約9年2ヵ月の工期が必要となるが、この度、修復計画がまとまったと地元紙が報じていた。
国の重要文化財もあるので、予算も下りたようだ。
10年かかってもいい、元の姿を取り戻してほしい。

お神籤を引いたら、大吉だった。扇のお神籤、可愛いな。

大吉シスターズ😁
大きな良きことが、能登を包みますように。
總持寺の門前商店街では、ちょうど雪割草まつりを開催していた。
そういえば、門前には雪割草の群生地があるんだった。
仮設店舗やテントにたくさん出店していたので、私たちは各々エコバッグを抱えて突撃した。
珠洲の桜田酒造が、白山市の酒蔵のサポートを受け、無事だった日本酒を1000本だけ出荷した。
その名も「初桜」。
「姥桜じゃなくてよかったね」なんて言いながら、通し番号520番の一升瓶をゲット。
私はせっかくなので、雪割草を3株購入。
山野草は初めてだけれど、今回の旅の記念に育ててみよう。
シーグラスのアクセサリーや手作りキャンドルなど、それぞれよい買い物をしたようだ。
喫茶店・フリースタイル
お茶したい・・・と私がひと言もらしたら、すかさずスマホで検索して、カフェを探してくれた。
でも定休日や営業していない店が多く、穴水の喫茶店に行くことに。
内浦から外浦に来たのに、また内浦へ戻る。(宿は外浦)
・・・効率だけを考えたら、絶対しない。でもこのメンバーは、そんなこと気にしない。
穴水町のフリースタイルは、昔ながらの喫茶店。
昭和レトロの匂いがする。
名物は美味しいコーヒーとラーメンとカレー。
なんちゅう取り合わせ😅
でもこのラインアップで、近々野々市に二号店を出すとのこと。
この店は初老のマダムが切り盛りしているけれど、二号店は息子さんが経営する。
フリースタイルの味を継承すべく、喫茶メニューと並行して、ラーメンとカレーも提供するのだとか。
行く先々で誰にでも気さくに話しかけ、こういう情報をスルスル引き出してしまうこの人たち、すごいな。

ボリューム満点なバナナパフェ。
野々市にフリースタイルができたら、ぜひ、行ってみてね。
いやし村・喜楽楽(きらら)
2日目の宿は、いやしの村・喜楽楽(きらら)。
小鳥の声で目を覚まし、採れたての無農薬野菜や山菜でお腹を満たし、土や草木とふれあい、ゆっくり流れる時間を堪能する宿。
今回は一棟貸し切り、全員一緒に泊れる。

出迎えてくれたのは、チバちゃんという女性。
たった一人で喜楽楽を切り盛りしている。
元気印な笑顔が印象的で、くるくる動く。
チバちゃんが用意してくれた夕ご飯が、また絶品だった。

付け出しはお豆腐にたっぷりのフキノトウ味噌と桜の塩漬け(自家製)。

ほうれん草と菊の花の寒天。茗荷の酢漬けを添えて。

さつまいものサラダ。

きのこと豆腐のキッシュ。

干しぶどうと大根がたっぷり入った巾着。

凍り豆腐とワカメのタマネギ漬け和え。
チバちゃんのお料理は玄米菜食。こういうの、ビーガンって言うんだよね。
野菜も自家製で、調味料も手作り。
お手製の酵素ジュースも飲ませてもらった。
手間のかかることを、チバちゃんは楽しそうにこなす。
きっと手間だとすら思っていないのだろう。
”暮らす”こと自体が、彼女にとっての生きることなのだと思う。
大地とともに生きる・・・というフレーズが、ふっと浮かんだ。うん、確かにそんなイメージかも。
静かな夜が更けていく。
昼間、雪割草まつりで求めた新月のキャンドルに火を灯し、メンバーの1人が今、夢中になっているクレイについてのレクチャー。
クレイとは、簡単にいえば泥のパック。
ミネラルを豊富に含み、不要な物は吸着して流してくれる。
凝りや痛みにもいいらしい。
彼女が「私のセラピストは~~」と何度も言うのが、おかしかった。専属なんかい!
サンプルをもらったので、おうちに帰ったら、さっそくやってみよう。
この日は、疲れていたのか、みんな早々に眠りについた。
2日目も楽しかったなぁ。😊

總持寺の片隅に、土筆が顔を出していた。被災地にも春が来る~~。