しあわせの種は日常にあふれている

『しあわせとは、いつかなるものじゃなくて、今、感じるもの。』

かつて私にそう教えてくれた友がいる。

当時の私は、一生懸命探していたように思う。

生まれてきた意味や、生きる目的や、自分のなすべきこと等を。

それが見つかって、それに向かって全エネルギーを集中させることができれば、きっと私はしあわせになれると思っていた。

必然的に、私の目は外に向く。

遠くへ遠くへと探しに行く。

なにか特別で、非凡で、唯一のものを求めて。

だけど、本当はそんなことじゃないんだ。

 

条件が揃ってつかみ取るのがしあわせだとしたら、そこに到達するまでの時間は、しあわせではないということ?

みんながしあわせというゴールを目指して、競争しているということ?

そのゴールがすご~~~く遠くにあるとしたら、人生の大半はしあわせではなく、しあわせになる課程ってこと?

たとえば80年の人生で、死の1時間前にゴールに到達したら、79年と11ヶ月と30日と23時間はしあわせではないってこと?

そうじゃないよね。

 

しあわせとは、しかるべき条件が揃った状態ではない。

ああ、しあわせだな・・・と感じる瞬間の積み重ねなのだ。

そしてそれは絢爛豪華で壮大なしあわせである必要はない。

よかったな、嬉しいな、気持ちがいいな、心地いいな、愛されてるな、ほっこりするな、ワクワクするな・・・、ひとつひとつは小さくても心踊る瞬間がいくつも集まれば、今日はなんていい1日なんだろうと思える。

なんていい1日なんだろうと思う日がいっぱい集まれば、今週はなんていい週なんだろう。

なんていい週なんだろうがいっぱい集まれば、なんていい月なんだろう、それがなんていい1年、10年、四半世紀、やがてはなんていい一生なんだろうに繋がっていく。

 

別に難しいことじゃないよ。

日々、小さなラッキーや小さな発見や小さな喜びを、すくい上げていけばいい。

取るに足らない・・・とスルーしてしまえば、しあわせの種はどこかへ飛んでいってしまうから。

 

木漏れ日がきれいだね・・・と話しかけた時、「私はいつも下を向いて歩いているから、気がつかなかった」と応えた人がいた。

そうだね、ちょっと目線を上げるだけで、見える景色は変わってくる。

そう、今日だって、今この瞬間だって、私たちの周りにはしあわせの種がいっぱい舞っている。

たんぽぽの綿毛のように。ふわふわ・・・。

たんぽぽ

この記事を書いた人

Chikako

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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