今日死ぬかもしれない・・・と危機感をもって生きている人は、ほとんどいないだろう。
だけどその可能性はゼロじゃない。
いってきます!と元気に出かければ、ただいまと帰ってくるのが当然と思い込んでいるが、そんな保証はどこにもないのだ。
人生何が起こるか分からない。
確率は低いと思うけれど、まさか私に限って・・・という事態に見舞われることはありうる。
もし不運にも、突然命の灯が消えてしまったら・・・、みんな、これまでありがとう、さよなら~~~と、笑顔で天国へ行けるだろうか?
やり残したこと、伝えそびれたこと、心残りなこと、諸々あるだろうけれど、まあ、それも人生。
突然のことなのだから、そういう定めだったと諦めるしかない。
悲しむ暇もなく葬儀や諸手続や相続に追われる遺族も、しばらくは慌ただしい日々を送る。
そしてやってくるのだ、遺品整理をする時が!
膨大な持ち物を、持ち主以外の人が整理・処分する。
これは相当な労力を要する。
日頃から、身辺を整えていなかった人は、ほんとにごめんなさい・・・とあの世で平身低頭するしかないだろう。
だけど、ただ捨てればいいモノたちは、まだいい。
あなたにはないだろうか、絶対、誰にも見られたくないアレ!
押し入れの奥深く、開かずの段ボールに入ったままのアレ!
自分で処分しておけばよかったと、悔やんでも悔やみきれないアレ!
それが愛する家族の手で、白日の下にさらされるのだ。
考えただけでも、卒倒しそうだ。
実家の片づけを進めていたら、以前私が使っていた部屋のクローゼットから、スキー靴の箱が出てきた。
ずっしりと重いが、中身に心当たりがない。
開けてみて、びっくり仰天。
私が学生の頃に作った教材や課題の楽譜などが詰まっていた。
未だにこんなモノが残っていたなんて。
日曜学校で使う、歌詞ボード。
そういえば、昔、イラスト描いてたんだ、私。
紙芝居。
どんな話だったか覚えていないけれど、私のサインがある。
当時から鳥が好きだったようだ。😅
オーケストラ用に編曲した楽譜。
ブラスバンドすらやったことのない私には、ひじょうにハードルが高い宿題だった。
オーケストレーションの単位は、ギリギリでもらったんじゃなかったかな。
高校生の時のレポート各種。
さすがJK、英語も丸文字だ。
セントルイスのSix Flagsというテーマパークで描いてもらった似顔絵。
当時は黒いプードルみたいな髪型だった。
学内のジュニアリサイタルのポスター。
(3年生がジュニアで、4年生はシニアリサイタル)
パソコンで作る時代ではなかったので、友達が描いてくれた。
そっくりだけど、ガリガリなChikakoと並べるな!・・・と、ふくよかなフィリスはご不満だった。
ここまではよかった。
手に取ると、40年近く前のことが思い出され、懐かしくもあった。
こういうものなら、人に見られてもどうってことはない。
だが、箱の一番底から現れたモノは違う。
日記帳だ。
小さな丸文字で、びっしり書き込まれている。
小学校高学年から高校1年くらいまでの日記で、少し読んでみたが、赤面してしまって先に進めない。
なんというか・・・、中二病全開どころか、バリバリにこじらせた、独りよがりの世界観。
恥ずかしいどころの騒ぎじゃない。
書いた本人ですら、こんなにいたたまれないのに、もしこれが他人の目に触れたら・・・と思うと、冷や汗がどっと噴き出す。
子どもたちには、未来永劫、絶対知られたくないーーーーーー!!!!!
とはいえ、これは正真正銘、世界にたったひとつの私の思春期の記録だ。
将来、物語を書きたいと思っている私には、ガラスの10代の気持ちを探る、最高の資料かもしれない。
貴資な資料 VS 末代までの恥
そういえば、思い出したことがある。
私が20歳くらいの頃、母が古いノートを出してきた。
「貴女のお父さんね、こんな小説書いてたのよ」・・・と。
それは男女6人のパーティが山に登る話で、○○がチロリアンハットをかぶっていたとか、オレンジのチェックのシャツが似合っていてとか、・・・理系の父が精一杯背伸びして書いたであろう小説だった。
登場人物の1人は、きっと父だったのだろう。
最初の数ページを読んで、「父は絶対、人には読まれたくないだろう」と思った。
ましてや自分の娘には。
武士の情けを知る私は、母には黙って、父の青春の記録を処分した。
あれと同じだ。(親子だなぁ・・・)
早逝した父には、自分で処分する機会も猶予もなかった。
母がノートを私に渡した時、きっとあの世で後悔のほぞを噛みちぎったことだろう。
お父さん、すばらしき教訓をありがとう。
おかげで私は、同じ轍を踏まないですむよ。
ゴミ袋にそのまま入れるのも気が引けるので、ラッピングして捨てようかな。(←これこそ無駄なんじゃ・・・)