やっときた最終章。ここまで長かった~~~。
サブタイトルの「新しい地」が、ニュー・アースのことかな。
ここまで難解な理論を展開してきたが、その結論として、どんな地へ行けるのか。
老齢期は意識の花が開くとき
宇宙は拡大と縮小を繰り返す。
すべては相似形だから、その宇宙に含まれる人間も、拡大と縮小をたどる。
出て行くことと、返っていくことと言い換えてもいい。
人はどこからともなく現れて、身体も知識も経験も拡大させ、ある時点から、今度は逆方向、縮小へと向かう。
それは形、目に見える形の解体であり、ある日、あなたは消える。
そしてあなたは、もと居た場所に戻っていくのだ。
それはひとつの宇宙の終わりを意味する。(まるで禅問答だ)
だが人がだんだんと終焉に向かうステージは、スピリチュアルな目覚めの大きなチャンスの時でもある。
老齢や病気、心身の障害、喪失、個人的な悲劇を通して、形が解体されていく。
意識が形との同一化を解消する好機だ。
だが多くの人は、理解できない。
これまで積み上げ、獲得し、成功し、築き、守ることに意味を見いだしてきた人々は、死が近づいた時に、恐怖におののき、絶望する。
だが死を全ての終わりと捉えず、ひとつの通過点だと思えば、しかも霊的な目覚めへのジャンプ台だと思えば、死の持つ意味が変わってくる。
もっと俯瞰的な高い視点から見れば、たとえ身体がなくなっても、意識は在り続けるのだから。
多くの古代文明では、老人は尊重され、敬われていた。老人は智慧の貯蔵庫で、若者には到達できない深さの次元を体現していたからだ。
翻って現代の社会では、老いにはマイナスのイメージがつきまとう。
社会のお荷物であり、邪魔者と呼ばれることさえある。
それは現代社会が、あまりにも形あるものと同一化していて、行うこと(Doing)ばかりが尊重され、在ること(being)が軽んじられているからだろう。
若い時期に大きな危機に直面し、スピリチュアルな目覚めを経験する人たちもいる。
だが起こるべきではないのに、起こることなどない。
それもまた偉大なる全体とその目的の一部なのである。
人生の縮小の中でエゴが離れると、老齢や近づく死は本来の姿を取り戻し、スピリチュアルな領域への入り口となる。
形への同一化から解放された老人は、輝いている。
彼らの弱った身体は、意識の光に透き通っている。
新しい地では、老齢期は意識の花が開く時として、もっと高い価値を認められるだろう。
知性をどう使うか
地球に新しい意識が現れ始めている今、老齢にならなくても、危機的状況を体験しなくても、目覚める人が増えている。
外側へと成長と拡大の動きをしながら、内側へも回帰していく人々だ。
そうすると人はその知性を、全体の益のために使えるようになる。
たとえば原子を分割するには高度な知性が必要だが、人類はその知性を原子爆弾の開発に使ってしまった。
だがエゴから解放されれば、人類のせっかくの知性はそんな愚かなことに使われず、宇宙の知性と調和する。
エゴから解放され、全体の益を目指す知性は、排他的ではなく、全てを包み込む。
私の国のためではなく人類全体のため、私の宗教のためではなく人類の意識喚起のため、私の種のためではなく生きとし生けるもの全てのため・・・というように。
あなたを通して意識は世界に流れ込む
意識そのものは時間を越え、生まれもしないし、死ぬこともない。
形のない意識はどうやってこの世界に自己を現れるのか。
私たち、人間を通してである。
目覚めた、しかもその運命をまっとうする人間を通してである。
意識は人の中に入り、形を得る。
これは聖なるものが、自分の位を落として、物質に下降したと考えてもいい。
人と同一化した意識は、夢のような状態に入る。
そして形が解体するとき、つまり老齢になったり、死が近づいた時、夢から目覚める気配が訪れる。
その後は輪廻転生が起こり、意識はまた次の形へ入り、夢うつつになる。
だが今、意識はこのサイクルから脱しようとしている。
意識が形の夢から覚めるのだ。
意識は形の中で自分を失うことなく、形を創造することができるようになる。
つまり目覚めたまま、外部的な目的を果たせるようになるのだ。
これが目覚めた行動であり、意識にとっては、これが楽しい。
外部的な目的と内的目的が調和した行動が、あなたを通して現れる。
あなたを通して意識は世界に流れ込む。
目覚めた行動の3つのモード
人生(生命)を宇宙の創造的な力と調和させるには、3つの方法がある。
行動の原動力がこの3つ以外であれば、それはエゴに支配された行動と言える。
①受け入れる
しなくてはならないことを、受け入れる。
楽しむことも、情熱を燃やすこともできないとしても、これは自分が為さなければならいことと受け入れることはできる。
受け入れると、心は安らかでいられる。
その安らかさの周波数は、意識のそれであり、受け入れることであなたは意識の周波数を世界に取り込むことができる。
②楽しむ
抵抗せずに受け入れると安らぎが得られるが、行動を積極的に楽しむと安らぎは躍動する生命感に変わる。
それは何か楽しことが起こるのを待っていることとは違う。
未来に想いを馳せるのではなく、今、していること、今、目の前で起こっていることを楽しむのだ。
今、この瞬間に、全身全霊を込めて行動すれば、それがどんな行動でも楽しむことができる。
楽しいのは行動ではなく、そこに流れ込む深い躍動する生命感、その生命感はあなたと一体だ。
つまり行動を楽しむとは、生命感のダイナミックさを体験することに他ならない。
③情熱を燃やすこと
情熱を燃やすとは、自分がしていることに深い喜びを感じると同時に、目指す目標やビジョンの要素が加わること。
行動の喜びに目標が加わると、エネルギーの場、つまり周波数が変化する。
あなたは自分を目標に向かって飛ぶ矢のように感じ、その行程を楽しむ。
端から見たら大変そうに見えても、本人はストレスを感じていない。
情熱はエネルギーの振動数が高いので、宇宙の創造力と共鳴する。
情熱は創造的なエネルギーの波を起こすので、あなたはただ波に乗っていけばいい。
同じ行動でもエゴに支配された行動には、反対勢力が現れる。
だが情熱には対立がない。対決的ではないからだ。
情熱による活動には勝者も敗者もない。基本的に排他的ではなく、他者をも包み込む。
エゴの欲望は、常に誰かから何かを奪おうとするが、情熱は惜しみなく与える。
情熱とエゴは共存できない。
情熱にはなにも欠けていないから、なにも欲しない。
自分の活動が自分だけではなく、無数の他者を豊かにし、深めていることを感じよう。
新しい天と新しい地
目覚めた意識で生きる人たちには、派手で目立つことをする人もいれば、静かに、控えめに、細やかな日常を送る人もいる。
新しい地では、前者だけではなく、後者の人たちにも大切な役割がある。
それは、この地球に新しい意識の周波数を根付かせる錨となること。
彼らの使命は、日々の暮らしを通じて、「ただ在ること」と他者との関わりを通じて、新しい意識を生み出すことだ。
彼らの仕事は、「ここに在る」ことを通じて、広い静寂をこの世界にもたらす。
聖書の予言者は「私は新しい天と新しい地を見た」と書いた。
新しい天とは目覚めた意識、新しい地とは外部的な現実、つまり意識の外部への投影。
これはいつかの未来にやってくるものではない。
私たちを解放するのは、現在のこの瞬間だけだ。
新しい天と新しい地は、今この瞬間にあなたの中に生じている。
Chikakoの感想
やっと終わった・・・というのが、正直な感想。
一章ずつ読み進めるのは、苦しかった。
始まりは、知人がニューアースのトークライブをしたこと。
彼女が語っていることが分かりたくて、本書を読み始めた。2022年5月のことだった。
一応、10回のトークライブに合わせて、読破はした。
でも理解・・・には程遠かったと思う。
ならばと書き始めたブログも、第一章で挫折。
3年半経った今、課題図書として再会した本書は、当時と変わらず、難解だった。😭
私はこれから10章分のブログ記事を、5ページのレポートにまとめるのだが、できるかな・・・。
レポートの核は、訳者あとがきが参考になるだろう。
「人間は本当の自分とエゴを混同している。
エゴはそれ自体では存在できないので、なにかに自分を同一化せざるを得ない。
それはモノだったり、地位だったり、役割だったり、成功だったりするわけだが、それらは同一化の対象物に過ぎず、自分自身ではないから、なにに同一化しようとも、エゴは決して満足しない。
この機能不全を解消するには、エゴではない、本当の自分に目覚めなくてはならない。
本当の自分とは、いまこの瞬間に生きて在る私のことだ。
エゴのように何かによって自己イメージを支える必要のない、あるがままの私だ。
そこに気づけば、新しい意識が生まれる。」
最終章で心に残ったのは、老いが必ずしも忌むべきものではないということ。
年をとることは肉体的に衰えて、できることがどんどん少なくなり、外見も劣化して、社会のお荷物になる・・・と悲観的に捉えていた。
だがトールは、老齢や死は、目覚めの大きなチャンスだと言う。
ずっと追い求めていた目覚めが得られるのであれば、そして死が全ての終わりではなく、単に形からの解放であるのなら、そんなに悲観しなくてもよいのかな・・・と思える。
老人だけではなく若者も、年齢に関係なく、目覚めた意識として形のある世界を生きることが、新しい地球(ニュー・アース)の生き方なのだ。
