人はなぜ争わずにはいられないのだろう。
個人レベルから国家レベルまで。
怒りや憎しみではなく、優しさや愛情で繋がることはできないのだろうか。
共生…、共に生きる。
同じ星でそれぞれの尊厳を認め合いながら、共に生きる。
それは夢物語なのだろうか。
友人の愉加さんが、ウクライナ支援のチャリティコンサートを主催した。
石川県の音楽家21人が参加、14時と19時の2回、それぞれ2時間越えの演奏会となった。
入場は無料でチャリティを募り、集まった支援金は東京のウクライナ大使館を通して、彼の地の人道支援に使われるとのこと。
ロシアのウクライナ侵攻のニュースに、胸を痛めない人はいないだろう。
ある日、普通に生活していた街に、ミサイルが飛んでくる。
建物や道路や橋が破壊され、学校や病院が崩れ落ちる。
軍人だけでなく市民も銃を手に立ち向かう。
相手は大国で戦力の差は歴然としている。
西側諸国からの表だった支援も期待できない。(NATO軍の介入など)
だけどウクライナは独立した国家だ。もうロシアの一部になりたくはない。
自分たちの国を、愛する人を、生活を守りたい。
激しく抵抗するも、いともたやすく命が失われていく。
理不尽だと誰もが思う。
こんなこと、あってはならないと。
だけど現実に戦争が起こっている。
今、平和な国に住み、生命の危機にさらされることはなく、家族や友人を戦地に送り出さずにすんでいる私たちに、いったい何ができるのだろう。
音楽を聴いて、いくばくかの寄付をして、お金がウクライナに送られるとしても、一体それがなんになるの?
そんなことで、戦争が終わるの?
私たちの自己満足じゃないの?
仕事が長引いたので、19時の部に少し遅れて入場した。
ちょうど開会の挨拶が終わり、ウクライナ国歌が演奏されていた。
耳慣れないメロディ。
そう、私にとって、ウクライナは馴染みのない国なのだ。
中学の地理で、肥沃な黒土で小麦を栽培していると習ったが、そのくらいの知識しかない国。
…だけど、国歌を聴いている時、身体が震えた。
この日、この時、このホールに集まった人たちは、演奏家も観客も、同じ想いを共有している。
その想いが共振したのだと思う。
それを私たちは祈りと呼ぶ。
会ったこともないウクライナの人たちの痛みを日本で共有し、祈りという思念のパワーを集めて飛ばす。
このような場は金沢だけではないはず。
日本各地、いや世界各地で、人々が集まり、想いを馳せ、心を寄せ、彼の地のために祈る。
チャリティで集めるお金は、単にその形なのかもしれない。
どうかもうこれ以上、失われる命がありませんように。
プログラムは珍しい曲のオンパレードだった。
ウクライナの作曲家の作品やジョージアの民謡メドレーなんて、なかなか聴く機会がない。
弦楽器にフルートにハープにサックスフォン、様々なタイプの歌手に龍笛や二胡など、バラエティに富んでいた。
舞や生け花の実演もあった。
音楽の間に、在日リトアニア大使のビデオメッセージと在日スロバキア大使のご挨拶。
オーケストラアンサンブル金沢のチェロ奏者、ルドヴィート・カンタさんはスロバキア出身。
祖国がまだチェコスロバキアだった頃、ロシアの戦車が侵攻して来た。
カンタさんはまだ幼かったが、今でも時々あの日の恐怖を夢に見るのだとか。
こんなことが、また起こっていいはずがない…。
カンタさんの奏でるチェロの音色が、そう訴えていた。
コンサートの最後は、出演者全員による「故郷」。
”志を果たして いつの日にか帰らん
山は青き故郷 水は清き故郷”
その帰るべき故郷が今、なくなろうとうしている。
本当は観客もみんな大声で合唱したかった。(感染予防のためNG)
でも誰もがホールの気持ちがひとつになった、まさにワンネスを…ひしひしと肌で感じていた。
こんなコンサートをたったの2週間で企画・実現した愉加さんとスタッフの想いの強さにも、私は心揺さぶられた。
故郷を聴きながら、胸がいっぱいになり、視界はぼやけた。
素晴らしいコンサートだった。
彼の地へ届け、私たちの祈り!