かつて、日本にはひとつのステレオタイプがあった。
女性は25歳までに結婚し、家庭に入って、子どもを育てる。
それがあるべき女性の姿だった。
今の感覚では、25歳はまだまだひよっこ、仕事も自己実現もこれからという時。
学校で学んできたことを発揮して、社会で羽ばたき始める時。
時代は変わった。
男性も女性も、それぞれの可能性を追求し、誰かの犠牲になることなく、幸せに生きていい日が来たのだ!
だが人の常識というものは、そう簡単に変わらない。
親婚活とは?
親婚活というお見合いシステムをご存知だろうか。
結婚したい子どものために、親が身上書を持ち寄って、結婚相手を探すのだ。
昨今は晩婚化やワーキングプアのため、本人たちだけでは婚活しない&できない。
そこで親たちが、子育ての最後の締めくくりとばかりに、出張ってくる。
「うちの子が結婚しないので」は、そんな親婚活にチャレンジした家族の物語。
『うちの子が結婚しないので』のストーリー
千賀子は50代。
フルタイムでIT関係の仕事をしているが、そろそろ老後のことが気にかかる。
すでにマンションを購入済なので、夫と二人、つましく暮らす分には問題はないだろう。
だが、心配なのは、娘の友美だ。
28歳、彼氏なし。
毎日、安月給でクタクタになるまで働いて、結婚のことを考える余裕もない。
そんな時、千賀子の友人・モリコの娘の結婚が決まった。
一気に不安と焦りが押し寄せる。
友美はまだ20代だが、あっという間に30代になるだろう。
婚活をするなら、今が適期なのではないか?
娘に出逢いがないのなら、積極的に求めていかなければ!
友美の身上書を持って、初めて参加した親婚活。
これぞ…と思う男性の親に、身上書の交換を申し込むのだが、なかなか応じてもらえない。
20代という若さをもってしても、学歴や容姿や家柄で、はねられてしまうのだ。
交換を申し込んでくるのは、40代後半や極度に偏食のある男性の親。
千賀子は断られるたびに、相手の親の要望を聞くたびに、どんどん傷ついていく。
自分のことならまだしも、最愛の娘が、商品のように値踏みされている。
いたたまれない…。
だけど、こんなことで落ち込んでいるわけにはいかない。
千賀子の信条は、目の前のことを、たんたんとこなすこと。
断られても、落胆しても、腹が立っても、娘のために次の親婚活へと向かうのだった。
『うちの子が結婚しないので』のテーマ
本書のテーマは、親婚活の是非ではないと思う。
親婚活という、一見過保護にも見える干渉を通して、日本の社会で女性が置かれた立場や求められる役割を描いている。
私たちの社会は、男は仕事、女は家庭と決められていた50年前から、大きく変化した。
だが、その変化に、果たして思考は追いついているのだろうか。
嫁には共働きをを望む。だけど家事もしっかりやってほしい。
一人暮らしを始めた息子の部屋が埃だらけだった。
これは急いでお嫁さんをもらわねば…と平気で言う親。
極端な偏食の息子の食事管理を、嫁に肩代わりしてほしい。
どうしても孫の顔が見たい。息子は40代後半だが、嫁は20代がいい。
お見合いは条件から入るので、様々な希望を持ってもいいのだが、それは相手側も同じこと。
20代の娘に、二回りも年上の相手や、苦労するのが見えているような相手を、わざわざ選びたい親はいない。
親同士のやり取りや、その後、デートに進んでからの紆余曲折を通して、旧態依然とした考え方が、暴露されていく。
垣谷さんの別の作品『夫の墓には入りません!』でも、同じテーマを扱っていた。
たとえ夫が亡くなっても、残された嫁が婚家の面倒を見るべきという常識。
こういう考え方がある限り、いくら制度が改善されても、女性の負担は減らない。
『うちの子が結婚しないので』の結末
…は書くわけないでしょ?(^^ゞ
でも個人的には、もうひとひねりあったらよかったかも…。(^^ゞ
千賀子の当初の思惑とは違うハッピーエンドとか。
友美が自己肯定感を育み、新しい時代の女性として歩き始めるとか。
家庭の中で自立できない男たちが、対等なパートナーとして生まれ変わるとか。
いずれにしても、結婚はゴールではなくスタートだ。
どんな出会いであったとしても、そこから二人がどんな関係を紡いでいくのかが、問われている。
女性として、人として、パートナーとして、どう生きるのか。
人生に何を望むのか…。
私たち、欲張って生きていこうじゃないか!