何気なく手に取った本。
タイトルから、クジラの追跡かクジラの保護の話だと思った。
でも52ヘルツってなんだろう…。
クジラが出てくるのは、ほんの一瞬。
52ヘルツのクジラは象徴なのだ。
誰にも聞こえない声で、必死に歌う、孤独な魂たちの象徴。
52ヘルツのクジラたちのあらすじ
「風俗やってたの?」
物語は衝撃的な一文から始まる。
大分の海辺の街に、一人やってきたキナコ。
古い空き家を修理して住み、仕事もせず、日がな一日海を眺めて暮らす。
周囲はうるさく詮索するが、キナコは気にしない。
キナコは逃げてきたのだ。…過去から。
キナコは捨ててきたのだ。…全てを。
キナコは絡め取られていたのだ。…罪悪感に。
だから誰にも近づいてほしくなかった。
誰にも触れてほしくなかった。
誰にも優しくされたくなかった。
そんな時、知り合ったやせっぽちの少年。
薄汚れた服を着て、髪は伸び放題、体は臭う。
ヨレヨレのTシャツの下は、アザだらけ。
少年はしゃべることができない。
自分の名も言わぬ少年を、キナコは52と呼ぶ。
クジラが歌うことはよく知られているが、普通のクジラは10~39ヘルツの音で歌う。
でもごくまれに52ヘルツで歌うクジラがいる。
52ヘルツはあまりに高音で、他のクジラたちには聞こえない。
どんなに近くにいたとしても、52ヘルツの声は届かないのだ。
深い海の底で独りぼっち。誰かが気づいてくれることを願って歌うクジラ。
孤独に押しつぶされそうになった時、キナコはMPプレーヤーで52ヘルツのクジラの声を聞く。
まるでそれは自分のようだ。
誰にも届かない声で、必死で呼びかけている自分。
キナコの声に気づいてくれたのは、アンさん。
そして52の声を拾ったのは、キナコ。
聞かなければいけない声を、聞こうとしなかったため、キナコは本当に大切な人を失ってしまった。
その罪滅ぼしに、52を虐待から救い出したいと奔走する。
徐々に明らかになる52の生い立ち、キナコの過去、償いきれない罪。
とても切ないストーリーだ。
テーマは残酷なまでの孤独
キナコも52も親から虐待されていた。
その描写は残酷で、胸がキリキリ痛む。
52の母親は、我が子を「ムシ」と呼び、キナコの母親は、まだ18歳だったキナコの未来を、義父の介護に捧げろと命じた。
トイレで生活していたキナコ。
小さな窓から空を見上げ、誰にも聞こえない声で助けを求めていた。
これほどまでに心に深手を負って、人は生きることができるのだろうか。
自分の尊厳を守り、幸せになる権利を追求できるのだろうか。
そのトラウマから自由になることは、果たしてできるのだろうか。
ヒリヒリと焼け付くような孤独が描かれている。
この世界に独りぼっち。
手を差し伸べる人が現れても、それは幻だ…と自分で払いのけてしまう。
孤独な魂が行き着く先は…?
Chikakoの感想
キナコの衝撃的な過去がつまびらかになるので、ストーリーだけを追っても、退屈せずに一気に読める。
だが底に横たわる絶望的な孤独を感じながら読むと、また違う物語に見えてくる。
誰もいない。
この広い世界に、自分の味方は誰もいない…。
だから近づいて来る人も、向けられた優しさも、キナコは信じることができない。
だけど心の奥の奥では、誰かと繋がりあうことを切望している。
魂の番(つがい)を探し求めている。
…魂の番とは、ツインソウルみたいなものだろうか。
会った瞬間から、なぜか懐かしい相手。
無条件で信頼できる相手。
そんな相手に巡り会えたなら、それはとても幸せなこと。
私もそんな幻想を抱いたことがあったけれど、今は人間関係は100%ではなくてもいいと思っている。
50%でも、30%でも、5%でも…、その瞬間、その人が、私に向けてくれた理解や優しさこそが大切なのだと、知っているから。
海辺の街でキナコと52と関わる人々は、みなそれぞれに優しい。
その人の100%ではないかもしれないが、その時、二人に差し出せる優しさをそっと渡してくれる。
気づけ、そして躊躇なく掴め。
キナコと52のこれからに、幸あらんことを。