ねえ、自分のこと好き?
世界で一番自分のことを知っているのは、自分だよね。
その自分のこと、どう思ってる?
私の経験では、自分が大好き!…という人より、嫌いって人の方が多いんだよね。
まあ、類は友を呼ぶってこともあるから、私がそういう人ばかりを引き寄せていたのかもしれないけれど。
自分が嫌いだという人は、本当は自分が一番仲良くしなければいけない自分という存在を、どうして嫌うんだろう?
そこには目的がある…とアドラーは言う。
人はいくらでも変われるでも書いたけれど、人の行動や感じ方を決定づける要因は、原因論と目的論から語られる。
原因論では、過去のトラウマが現在の行動を決定づけるので、過去を変えない限り、現在のあり方は変えようがない。
目的論では、人の行動や思考は、こうなりたいという目的あってのことなので、現在の目的を変えれば、人は変われると論ずる。
では、自分が嫌いだと言う人の目的とは?
それは自分を嫌うことで得られる利点だ。
自分の性格が暗い、感じ方がひねくれている、ルックスがよくない、能力に満足できない…と、NGな点をあげつらう事で、だから私は人に好かれなくても仕方がないという免罪符を得る。
社交性がなくても仕方がない、人気者じゃなくても仕方がない、友達がいなくても仕方がないという、言い訳ができる。
だって素の自分を見せて、受け入れられないのは、怖すぎるから。
ありのままの自分を否定されたり、笑われたり、バカにされたりするのは、耐えられないから。
人に嫌われることが、自分に許可できないから。
それならば…と、自分から自分を否定する材料だけを並べ立て、ほらね、これじゃ無理もないよね?…と予防線を張る。
要するに、怖いんだよね。
人に嫌われるのが。
お前はいらないと言われるのが。
一人ぼっちになるのが。
たとえ人がなんと言おうと、そのままの自分でいいよって、自分にOK出せないんだよね。
でも、人に嫌われないように生きるためには、相手の望み通りに生きないといけないの。
そしてね、人って勝手なものだから、どんなにこっちが頑張って努力してその人の期待に応えようとしても、結局100%満足はしなくて、なんだかんだと文句を言うんだよね。
それって…、虚しくない?
だから、嫌われてもいい!って開き直って、素の自分で勝負しようとアドラーは提唱している。
そしてここは忘れちゃいけないポイント。
へつらわない、媚びない、これが私だ!…と自信を持って生きる貴方を嫌う人も確かにいるだろうけれど、好ましく思う人も必ずいるってこと。
そして私達が大切にしなくちゃいけないのは、実はこっちの人たち。
しがみついていた人や物や事から一度手を離してみると、今まで見えなかったこっちの人たちが、実はたくさんいたことに気づく。
そこにフォーカスしていくのが、変化への第一歩。
荒地のスイセン、咲いたよ。