家族っていったいなんだろう。
血のつながりがあるから家族?
一緒に住んでいるから家族?
『あの家に暮らす四人の女』のあの家とは、杉並区の善福寺川近くに立つ、今にも朽ち果てそうな洋館。
敷地は150坪。庭には家庭菜園、表門には離れ…という名の掘立小屋。
四人の女は、70歳近くになっても、永遠のお嬢さんの牧田鶴代。
その娘、刺繍に命を懸け、家に閉じこもってひたすら針を動かす佐知、37歳。
佐知の同い年の友人、雪乃。
雪乃の後輩で、佐知の刺繍教室の生徒でもある27歳の多恵美。
この4人が、鶴代の生家で同居している。
そして離れには、この家の唯一の男性、山田老人。
鶴代の祖父の代から牧田家に仕え、80才になった今でも、門番のように目を光らせている。
いったい山田さんを、他人になんと紹介していいものやら…と佐知は、いつも思っている。
…そんな家族のようで、家族ではない、不思議な関係が描かれている。
さて、ここまで読んで、なにかデジャブ感を覚えないだろうか。
そう、谷崎潤一郎の細雪だ。
登場人物の名が、細雪の4姉妹と同じなのだ。
実はこの小説、谷崎潤一郎没後50年を記念して、出版社が複数の作家に、オマージュ作品を依頼したうちの1作。
ただし、本作は、細雪をリライトしたものではなく、確かにベースに置きながらも、全く新しい小説に生まれ変わっている。
淡々とした毎日に、いくつかの事件が起きるが、4人の女たちは、それぞれ異なる反応をしながらも、それなりに対処していく。
その過程で、鶴代が夫を叩き出したいきさつや、佐知が恋愛に異常に消極的な理由や、人と分かりあうのは不可能と言い切る雪乃の信念や、何度だまされてもヒモ男についほだされる多恵美の緩さなどが、語られる。
特に佐知の心の動きが詳細になぞられるのだが、それは物語後半で明らかになる、語り手の正体を知り、ああ、なるほど…と納得する。
開かずの間から、河童のミイラ出て来たり、しかもその禍々しいミイラが出産祝いだったり、ミイラを通して心の交流が起こったり、いきなりカラスに語りをバトンタッチしたり…と、いつの間にか、作者の茶目っ気というか遊び心に、からめとられている自分に気付く。
三浦しをんさんの独特な表現にも、心奪われる。
「野花にとまった蝶々を捕まえるように、雪乃は慎重に声をかけた。」
「山田の目につかぬよう、特殊部隊なみに素早く家屋をまわりこむ。」
「陶器めいた静けさのなかに毒も芯の強さもはらんだ顔をしているのだった。」
「佐知が持つ紙コップに、桜がひとひら舞い降りた。朧月を花びらの船が横切っているように見える。」
このオリジナリティあふれる言葉の選択!
「開かずの間が開く日がきたら、賊よりもまえに埃やらネズミやらゴキブリやらが家じゅうに飛び出してきて、牧田家は滅亡のときを迎えるであろう。南無三。南無三。その日が1日でも遠からんことを。」
ユーモアも絶品!
「5年に1度ほど、佐知は春をものすごくうつくしいと感じる。なぜ毎年ではないのかは謎だ。本当は当たり年で、しかし当たり年だからといって、特別にいいことも悪いこともないと経験則からわかっているので、佐知は感激の涙をこらえ、なんでもないふうを装って携帯を桜へかざし続けた。」
ただ桜が美しいということを、こんな風に表せる、その感性に惚れる。
家族ではない、身内のような部族のような4人の女と、山田さんとカラスとカッパの送り主の物語、小説って面白いなぁと、しみじみ感じさせてくれる作品だ。