失った物などなかった

冬の間やめていた朝散歩を再開した。

春風の中、小鳥の声を聞きながら、てくてくてくてく歩く。

見上げれば優しい太陽の光と、ほんの少し芽吹いた木々。

ところどころ桜も咲いていて、なんていい季節なんだろうと、腕を広げて胸いっぱいに深呼吸。

今日は特別に暖かいのか、4月になったばかりだけれど、長袖Tシャツ1枚で寒くない。

メタセコイア並木の端っこから折り返し、途中の公園でひと休み。

桜の下に陣取ってメディテーション。

最近、なんだか雑念が多くて、瞑想がすぐ途切れていた。

瞑想中はなにを考えればいいのか・・・と以前聞かれたことがあるが、なにも考えなくていいの。

ただただそこに在る自分を感じていればいいの。

具体的にはどういうことかというと、鳥の鳴き声が聞こえる・・・と気づくだけでいい。

頬をなでる風が柔らかいと気づく。

頭上の梢が揺れてるなと気づく。

背骨が真っ直ぐに伸びてるなと気づく。

自分の腕の重さに気づく。

お尻の下のベンチの硬さに気づく。

今、息を吸ってるなと気づく。

身体の中に空気が満ちてくることに気づく。

今に在るとはそういうこと。

そうしているとやがて自分の皮膚が溶け出して、外界と混じり合っていくような感覚が訪れる。

そう、わたしたちはひとつ。

地球とひとつ。宇宙とひとつ。

心が穏やかに凪いでいく。

なにもかも大丈夫、心配することなんかなにもないと、落ち着いていく。

自分自身が空(くう)になる。

そして私はなにひとつ失ってなどいないと気づく。

突然。なんの脈絡もなく。

ああ、そうだったんだと納得する。

そっか、大きな喪失感を抱えていたつもりだったけれど、喪失したものなど、なにもなかったんだ・・・。

世界は変わらず、こんなにも美しく、優しさで満ちている。

桜

 

この記事を書いた人

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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