私の心理学の師匠、長谷川泰三氏が教えてくれたこと。
人は拳銃を二丁持っている。
誰かに銃口を向ける時、もう一方の手にある銃は自分に向いている。
これを二丁拳銃の法則と呼ぶ。
相手を狙って撃ったとしても、同時に自分も撃たれる。しかも自分に。
最初、聞いた時は、よく分からなかった。
とどのつまりは、相手を攻撃したら、返り討ちにあう…みたなことかなと。
でも泰三先生が亡くなって5年も経った今になって、その真意が見えてきたような気がする。
人を攻撃したり、非難したりする時、相手のここが悪いとか、あそこが間違っているとか、思いやりがないとか、プライドが高すぎるとか、感謝がないとか、被害者意識の塊だとか、差別意識を隠さないとか、人を見下しているとか、容赦がないとか、…いろいろあげつらう。
だけど、相手がそんなにひどい人なのかというと、そんな感想を持たない人もいる。
多少そんな傾向はあるけれど、多かれ少なかれ、みんなそうでしょ?…みたいな。
ではなぜ自分だけが、そんな風に敏感に反応し、強烈な嫌悪を感じるのか。
それは、相手の中に見る、人としてどうなの!と憤慨する欠点と同じものが、自分の中にもあるから。
そして私たちは薄々そのことを知っている。
でも見たくない。そんなオゾマシイものが自分の中にもあるなんて。
だからムカつくのだ。
だから許せないのだ。
見たくもないのに、見えちゃうから。
自分の中に同じ種がなければ、それほど敏感に反応しない。
さらっとスルーできる。
相手は鏡。
自分の姿を映し出す鏡。
相手の欠点や間違っている点を撃つ時、それは自分の中の同じものを撃つこと。
同じ穴のムジナですよ…と認めること。
相手への非難や攻撃は、つまりは自分への非難や攻撃になる。
相手を責める行為は、自分自身を責めて、傷つけて、貶めることになる。
それが二丁拳銃の法則なのではないだろうか。
あってますか、泰三先生?
在りし日の長谷川泰三先生(2009年撮影)