「だから、あんたはダメなのよ」と言われ続けて/ハコミセラピーの記録

LPLマスターコース・ハコミセラピーを受講した。

「ハコミ」とはネイティブアメリカンの言葉で「あなたは誰ですか?」という意味。

体の感覚にフォーカスして、心の傷やビリーフにアプローチする。

大まな(大まな板の上の鯉)と呼ばれるデモセッションのクライアントに指名され、2時間半の心の旅に出た。

これはその記録。忘れたくないから書き残しておく。

主訴を探す

事前に出された宿題で、条件付けや禁止の言葉をすでにピックアップしてあった。

私の中でずっと疼いていた言葉は、「だから、あんたはダメなのよ」

これは下の句だった。

女の子は優しくなければ愛されない、素直になりなさい、口答えをするな、文句を言うな、1番になりなさい、男の人を立てなさい・・・など様々な上の句に、高確率でくっついてくる下の句。

だけど子どもの私は、まるでダメージなどないかのように振る舞っていたと思う。

それが相手の癪にさわり、さらにダメ出しのように増量される。

本当はどうだったのか。子どもの私は、本当はどう感じていたのだろうか。

3つの受信機

3つの受信機とは、LPL主宰の岡部明美さん、通称あけみちゃんのオリジナルメソッドだ。

人には頭とハートと腹に受信機があり、それぞれ思考、感情、本能に対応している。

同じ言葉であっても、受信機によって、受け止め方が変わってくるというのだ。

ハコミセラピーは、とにかく今・ここを大切にする。

過去にどんなことがあったかよりも、今・ここで実際に何を感じているかが重要なのだ。

つまり過去にどれだけ「だから、あんたはダメなのよ」と言われたとしても、その事実そのものではなく、今・ここで、私がそれをどう感じているかが大事。

あけみちゃんがマインドフルネスの誘導をして、私の心を静かで凪いだ状態にもっていく。

ここで私の3つの受信機に「だから、あんたはダメなのよ」と言葉掛けをして反応を見るはずだった。

ただし、セッションは教科書通りに進まない。

セッションは生き物と言われる所以だ。

動作のテイクオーバー

声かけを待っていた私は、無意識にお腹に両手を重ねていた。

動作は今・ここで起っていること。

声のトーン、表情、震え、視線、姿勢、体の動きなどは、無意識であればあるほど、内面の何かを表わす。

あけみちゃんは、すかさず動作のテイクオーバーをする。

テイクオーバーとは、クライアントの言葉や動作を真似ること。

「貴女の両手に私の手を重ねたいと思うけれど、いいですか?」

ハコミでは、必ず許可を取る。

「はい」

「前から重ねるのと、後ろから重ねるのと、どっちがいい?」

「後ろから」

考えるまでもなく、即答だった。

後ろから以外の選択肢はない・・・そんな感覚。

私の後ろに回ったあけみちゃんが、肩の上から両腕を伸ばし、私のお腹の上の手に手を重ねる。

あけみちゃんは小柄なので、体が密着して、彼女の髪が私の頬に触れ、その体温が伝わってくる。

その瞬間、全身が温かくて柔らかいものに包まれたように感じた。

温かい海でぷかぷかと浮いているような・・・。

それを言うと、「お母さんのお腹の中みたい?」と聞かれる。

ああ、確かにそう。

温かくて安全な羊水の中で、なんの不安も心配もなく、ただ身を任せて浮いていた胎児の私。

お母さんの鼓動は、まるで子守歌のよう。

優しく、低く、正確なリズムを刻みながら、トクン、トクン、トクン。

「お母さんのお腹の中にいる貴女は、外の世界をどう感じているの?」

私の口から、言葉があふれ出してくる。

chikako

世界はしあわせな場所
光あふれる場所
あたたかい場所
愛にあふれる場所
思いやりと慈愛に満ちた場所

本当にびっくりした。

なぜなら、私の世界観とまるっきり逆だったから。

私は心の奥深い所で、世界は敵だらけの怖い場所だとずっと思ってきた。

だから鎧を着て、武器を持ち、攻撃してくる相手から自分を守らなければ・・・と。

それなのに胎児の私は、これから出て行く世界を愛と光に満ちた温かい場所と認識していたのだ。

なんだ、これ?

両極を経験する

優しい世界に祝福され、歓迎されて生まれたはずだったのに、私の現実は厳しかった。

容赦なく降り注ぐ「だから、あんたはダメなのよ」

無垢な子どもの心が、ダメでいっぱいになる。

悲しくなかっただろうか?

悲しくないわけがない。

どんなに強がっていても、ダメで埋め尽くされた心の中は悲しみ色に染まる。

それでも親に愛されたくて、精一杯、親の期待に応えようとする小さな私。

すでに傷だらけなのに、もうボロボロなのに、頑張ったね、頑張ったね、頑張ったね。

あけみちゃんは言う。

私に帰る旅
あけみちゃん

お腹の中で感じていた美しい世界は、貴女が創り出したい世界。
貴女の理想であり、こんな世界を創るために貴女は生まれてきた、いわば貴女の使命。
でも人は真逆を経験しなければ、理想を描けない。
暗闇を知らなければ、光を認識できない。
悲しみを知らなければ、喜びが分からない。
絶望を知らなければ、希望に気づけない。
だから生まれ落ちた後、貴女は悲しみと苦しみをいっぱい体験する必要があった。
対極を認識できるようになるために。
悲しみや絶望が深ければ深いほど、貴女の創り出す世界は、より美しく輝きを増すよ。

大団円・・・じゃなかった😆

今、私は母の介護を手伝っているが、それは子どもの義務だからと、自分に言い聞かせている。

それと同居してくれている弟のお嫁さんがいい人過ぎて、僅かでも彼女の負担を減らしたいと思うから。

子どもに返って、あれもいや、これもいやと我が儘放題でこちらの手間を増やす母に、優しい感情は抱きにくい。

愛じゃない、義務よ。

義務だから、ただ淡々と遂行するだけ。どこか冷たく、寒々としている。

でもお腹の中の私は、温もりに包まれて、平和で、しあわせで、感謝の気持ちでいっぱいだった。

ずっとないと思っていた感謝の念が、実は始まりからあったと知り、深く安堵する。

うまく説明できないけれど、よかった・・・と思った。

セッションを見守っている人たちにも、ほ~~っと安堵の空気が広がった。

ハコミのテイクオーバーというテクニックが、予定外のイメージワークに発展してしまったけれど、まあまあいい感じで着地した。

めでたし、めでたし。

セッションはここで終わると誰もが思った。

だ・が・!

すでに40分経過していたが、ここはゴールではなく、未だ単なる入り口だったのだ。

改めて、3つの受信機

「じゃ、3つの受信機に声掛けするね」と言われ、我に返った。

最初のマインドフルネスの状態はまだ続いていたので、そのまま第一の受信機の頭に「だから、あんたはダメなのよ」を数回投げかける。

私の反応は、…すごく冷めていた。

「だから、なに?」的な。

私の思考はその言葉を受け取ることを拒否していた。

強い盾でもって、ばーーーんと跳ね返すような。

中に入れてしまったら、私の負け。

そこには、なにくそ、負けるかと虚勢を張る私がいた。

「そうやって戦うことで得られるメリットを挙げてみて」とあけみちゃん。

メリットねぇ。

傷つかずにすむ、折れない、負けない、くじけない、守れる、一人で立っていられる、強くいられる・・・あえて挙げるとしたらこんなところか。

「では、デメリットは?」

孤独、誰ともつながれない、友だちができない、心を開けない、さみしい、嫌われる、居場所がない、誰にも誘ってもらえない、壁の花、とっつきにくいイメージ、周りの人が距離を取る、存在が怖いと言われる等々。

あけみちゃんはオーディエンスにも声を掛けて、戦うことのデメリットを挙げてもらう。うんざりするほど出せと言う。

他人が信じられない、世界が信じられない、敵が増える、攻撃される、反発される、周囲でもめごとが絶えない・・・。

列挙してみればよく分かるが、圧倒的にデメリットの方が多い。

次にハートの受信機に「だから、あんたはダメなのよ」と声をかける。

どんな感じがすると問われ、胸の真ん中にドッジボール大の鉛の玉を抱えているみたい・・・と答える。

それは思考の言葉だね・・・とあけみちゃん。

何層にも鎧を着た私のハートは、感じることを嫌がっている。

さらに何回か「だから、あんたはダメなのよ」

すると・・・「やめて、もうやめて」と弱々しい声が漏れた。

私は悲しかった。ダメ出しされて、否定されて、ダメだと決めつけられて、子どもの私は・・・、いや大人になった私も、悲しかった。

言い返すことができず、貝のように口をつぐんでいただけで、本当はすごくすごくすごく悲しかったのだ。

だけど感じないようにしていた。感じることを禁じていた。

腹の受信機に向かっても同じセリフを繰り返す。

本能に近い所では、何を感じるのだろうかと待っていたが、なにも動かない。

私の腹は微動だにしない。

焦りを感じた。デモセッションなので、オーディエンスが見ている。

彼らの貴重な時間を使わせてもらっているのだから、はやく、なんらかの反応をしなければ・・・。

人に迷惑をかけてはいけないという私のビリーフが、こんな時でも発動する。

だけど、ここで嘘を言っても意味がない。

感じていないのに、それらしいことを言ったって、すぐにバレるし、誰の学びにも気づきにもならない。

黙っている私にあけみちゃんが、提案した。

「丹田の背中側のスポット、命門に声かけてみてもいい?」

なにか出てきますように・・・。

だけど”無”しかない。

ああ、ダメだった、みなさん、ごめんなさい・・・と申し訳なさと情けなさに苛まれながら下を向いた瞬間、ポロリと口からこぼれ落ちた。

「死にたい」

全く予期せぬ言葉で、私が一番びっくりした。

それは言ってはいけない言葉だ。

あけみちゃんがすかさず言う。

「そんなに絶望していたんだね。」

「死にたい」を「絶望」に結びつけるセンス!

だけど私の「死にたい」はまさに絶望そのものだった。

命を断ちたい・・・というよりは、消えてなくなりたい、存在を消してしまいたいの方が、感覚的に近い。

「だから、あんたはダメなのよ」と言われ続け、私は悲しくて、情けなくて、やるせなくて、消えちゃいたかったのだ。

誰の目も届かない宇宙の果ての果てまで、飛んでっいっちゃいたかったのだ。

そのままブラックホールに飲まれてしまいたかったのだ。

「小さなchikaちゃん、子どものchikaちゃん、本当にしんどかったね。つらかったね。」

あけみちゃんの言葉で、私は崩壊した。

感情がこみ上げてきて、コントロールできない。

人が見ている前で泣きたくなんかない。でも止められない。

インナーチャイルドワーク

この後のことは、順番もセリフもうろ覚えだ。

激しく動揺していたので、記憶もあちこち飛んでいるが、できるだけ思い出して記しておく。

肩をふるわせて泣く私に、あけみちゃんはクッションを抱かせた。

少し前屈みになり、柔らかいクッションをぎゅっと抱きしめると、胃の腑から嗚咽がこみあげてくる。

これは、あの時、私が感じていた悲しみだ。

小さな心が受け止めきれずに、ないことにしてしまった生の感情だ。

むき出しの生傷・・・。

もう半世紀も前のことなのに、まだ血が噴き出している。

「お母さんに聞きたいこと、ある?」

「・・・なんでそんなこと言うの? なんで私をダメって言うの? 私ってそんなにダメなの?」

いや、もういい大人の理性はぶっ飛んでしまって、そこにいたのは7歳か8歳のchikaちゃんだった。

ズタズタになった無防備で柔らかい心を前に、途方に暮れている。

「ダメじゃないよね。chikaちゃんにはいい所がいっぱいある。chikaちゃんのいい所、挙げてみて。」

嗚咽に言葉を阻まれながらも、絞りだす私のいい所。

chikako

動物とすぐ仲良くなる
植物とも仲良くなる
自然の美しさを見つける
音楽を楽しむ
表わすことが上手
人の痛みが分かる
ひとりぼっちの子や傷ついている人がいると、すぐ気づく
傷ついている人を、放っておけない
ひどいことをした人を赦せる
虐待された子どもの痛みに敏感

私に帰る旅
あけみちゃん

「そうだよね、chikaちゃんにはこんなにいっぱいいい所がある。全然ダメじゃないよ。」

統合と癒やしへ

ひとしきり泣いて、少し落ち着いてから、それぞれの受信機に名前をつけようと提案された。

果敢に戦う頭さんには、オスカル。

悲しみを押し隠していたハートさんには、サニー。

沈黙を守り通した腹さんには、レイク。

死にたいほど絶望していた命門さんには、ダークナイト。

もう! 私のネーミングセンスの古臭いことといったら😆

そしてこの4つの役割を演じてくれる協力者を、オーディエンスの中から選ぶ。

オスカルとサニーとレイクとダークナイト。

それぞれと向き合って、かけたい言葉があればかけ、一緒にやりたいことがあればやってみて・・・とあけみちゃん。

まずオスカルと向き合う。

ずっと一人で戦ってきたオスカル。健気なオスカル。

私は手を伸ばして、そっと頬に触れた。いたわるように、優しく撫でる。

「ごめんね。ずっと孤独だったね。」

オスカル役は「やっと一緒になれた。迎えに来てくれるのを、ずっと待ってた」と言う。

あけみちゃんがセリフを指南したわけでは、もちろん、ない。

オスカル役は私の子ども時代なんて、全然知らない。

だけどこれが場の力というものなのか、彼はすっかりオスカルのエネルギーをまとって、そこにいた。

オスカルになりきって、オスカルの気持ちを代弁した。

なんだか嘘くさく聞こえるかもしれないけれど、これはやらせでも演技でもない。

悲しみに潰されていたサニーを、私はぎゅうっと抱きしめた。

「やっと戻ってきたね」とサニーが応える。

レイクは何も言わない。

腹の受信機は、本能か・・・。

私の本質は、無邪気さと活発さ。幼い頃の私は、とてもおてんばで、快活で、怖いものなんて、なにもなかった。

無邪気な子どもは、無邪気に遊ぶよね。

・・・ということで、私はレイクと汽車ぽっぽをした。

部屋中を走り回る。ついでに残りの3人も汽車ぽっぽに加えた。

端から見たら、正気の沙汰じゃない。

大の大人5人が、人前で汽車ぽっぽ。😅

最後に私はダークナイトの前に立ち、その瞳をじっと見つめた。

彼女は慈愛に満ちた目で見つめ返し、「見つけにきてくれて、ありがとう。表に出たらダメだと思って、ずっと隠れていた。私は健康な土壌を持っているよ。良質な土は、全ての土台。生命を育むよ。」

この4人、私の受信機たちをどう思うかと問われた。

オスカルは愛おしいし、サニーはめっちゃ可愛い。

レイクは本当は楽しいし、無邪気なので、なんとか動かしたい。

ダークナイトには、大地を感じる。揺らぐことがなく、大きくて、全ての土台であり、動植物を育む生命の源。

もはや闇夜・・・だけではないので、ダークナイト&ホープに改名することにした。

私と私の頭とハートと腹と命門が一緒になって統合され、それぞれの存在を認め合いながら生きていこうねとスクラムを組む。

今の感覚をエネルギースケッチして・・・と渡されたクレパスで、私は色とりどりの線を描いた。

下から上へ、力強く湧き出すような放物線。

これまでのモノクロカラーの世界から、色の弾ける明るい世界へワープする。

「カラフルな世界」とタイトルをつけて、長いセッションは終わった。

Chikakoの感想

感情をしっかり感じると、消耗する。

だからできるだけ穏便に、できるだけソフトに、できるだけ感じないようにしているのは、きっと私だけではないだろう。

特に過去の”ないことにしてしまった感情”は、現在の営みには直接的に関係しないので、わざわざ掘り起こして、対面しようなんて、誰も思わない。

だけど未完了の感情は、どんなに重たい蓋をして、どんなに深い所に沈め、どんなに時間を置いたとしても、ずっとそこにある。

そしてなにかのきっかけで顔をだしたり、現在の好ましくない反応を引き起こしたりする。

たとえそれが・・・遠い昔の忘れてしまった感情であっても。

自分を知るというのは、自分の強みやいいところを伸ばすことでもあるけれど、自分の闇と対峙することでもある。

人は光や愛や美しさだけでできてはいない。

その対極の闇も必ず併せ持っている。

その両方を認めて初めて、自分という広大な小宇宙を知り、魂の望みに耳を傾けることができる。

ひとつのセッションを終えて、未完了の感情がひとつ昇華した。

だけどここで終わりではない。

自分を知る道は、果てしなく遠い。

ゴールなんてあるんだろうか・・・と思うほど、先はかすんで見えない。

だけど、私は知りたい。

本当の美しさを、宇宙の真理を、人生の意味を、・・・そしてなによりも本当のわたしを。

鎧や仮面を全部剥がした下にいる、素顔のわたしに会いたい。

長いレポートを読んでくださって、ありがとうございます。
この記録を公開するには、かなりの勇気が必要でした。
ですが私の心の旅が、私だけのものではなく誰かの資源になるのならば・・・と思い、逡巡の果てに公開を決めました。
今、辛い貴方、今、苦しい貴方が、自分と出会う旅に踏み出すきっかけになれば、こんなに嬉しいことはありません。
貴方の自己探求の旅に心からのエールを。

この記事を書いた人

Chikakoプロフィール

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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