誰しも自分の正義を持っている。
そしてそれが一番正しいと思いたい。
おまけに、正しいのは自分だと周りにも認めてもらいたい。
【正しい】のなにが悪いのか?
【正しい】は【正しくない】より、優先されてしかるべきだろう。
うん、確かにそう。
【正しい】はなにも悪くない。
だけどひとつ落とし穴があるとしたら、貴方の【正しい】と隣の人の【正しい】は必ずしも同じではないこと。
ここでサングラスの法則を思い出してほしい。
人はみんな自分好みのサングラスをかけている。
サングラスとはつまりフィルター。
自分の思考の癖や捉え方の傾向性を指す。
サングラスをかけていると、どうなるか?
同じ景色を見ていても、ブルー系のサングラスをかけている人には、すべてが青みがかって見え、ブラウン系のサングラスの人には、セピア色に見える。
同じバニラアイスでも、ブルーのサングラスの人にとってはミントアイス、ブラウンの人にはモカアイスに見える。
見ている事象は同じだが、とらえ方が全然違うのだ。
だから貴方の【正しい】は、他の人には【正しい】と映らない。
逆もまた叱り。
そんな中で、どっちが正しいかを争ってみても不毛だし、おそらく両者が納得する結論は出ない。
貴方が正しいと思うことを、無理に捻じ曲げろと言っているわけではないよ。
自分が1ミリも間違っていないと確信しているとしても、もしかしたら相手には相手の言い分、相手には相手の理由、相手には相手の想いがある…と、チラッとでも考えてみる余裕はないかな?
論を尽くして相手の非を並べ立て、自分が正しいと世界に証明したとしよう。
そこで貴方は何を得るだろうか?
自分が正しかったと溜飲を下げることは、一時的なことだ。
そうやって相手をやっつけても、きっと貴方は幸せを感じられない。
幸せは勝負して勝ち取るものではないから。
正しさでねじ伏せた先に、待っているのはさらなる断絶だろう。
認めている。認められている。
私はこう考える、貴方はこう考える、そうなんだね、ちょっと違うね。
受け入れている。受け入れられている。
違うサングラスをかけた者同士が、少しでも相手を理解しようと歩み寄る。
愛している、愛されている。
考え方や感じ方が違っていても、その違いを乗り越えて、温かい気持ちを通わせる。
きれいごと?
でも私はそんな世界で生きていたい。