ペットロスに苦しんでいる人の、悲しみに触れた。
心が破けた状態の今、直接伝えることはしないけれど、悲しみというものは、時間とともに風化する。
風化…というか、昇華だろうか。
辛い別れの直後は、何を見ても思い出してしまって、ちょっとしたことで涙があふれ、自分はこんなに悲しいのに、どうして世界は普通に回っているんだろう…と恨めしくさえ思える。
だけど、私たちはどんなに悲しくても、日々、食べて、寝て、働いて…、生活は止まらない。
そうやって生きて、時間を過ごすうちに、少しずつ、少しずつ、悲しみが和らいで、食事が美味しく感じられたり、道端の名もない花に気が付いたり、明日のことを考えたりできるようになる。
それが…生きているということだから。
ただし、悲しみが薄れる時間は人によって違う。
気持ちの切り替えがうまい人もいれば、長く引きずる人もいる。
だから、いつまでクヨクヨしてるのよ!…なんて、安易に口に出してはいけない。
かつて一緒に犬の散歩をしていた奥さんは、愛犬が亡くなって半年間、外に出てこなかった。
犬仲間の姿を見ると、さっと家に入ってしまう。
犬を連れた私たちを見るのも、気遣われるのも、慰められるのも、話題にされるのも、なにもかも嫌だったのだろう。
だけど悲しい気持ちを内にためこんでしまうと、苦しみは長引くように思う。
ブログや日記に書いても、誰かに聞いてもらっても、一人で叫んでも、形はなんでもいいから、とにかく吐き出すことが大事。
その気持ちに共感してもらえたら、なおいい。
ただし!
話聞くよ…と強引に迫ってはいけない。無理強いは禁物。
人それぞれちょうどよいタイミングというものがあるのだから。
そして、新しいペットを迎えるのも、人によるとは思うけれど、実はいい方法だと思う。(涙が少し収まってからね)
近所にかわいいワンコがいた。
ご夫婦で我が子のように可愛がっていたが、ある日、交通事故であっけなく逝ってしまった。
その時、リードを持っていたご主人は、自分を責めて、責めて、責めて、泣き暮らすようになる。
そんな状態が5カ月続く。
このままでは心が壊れてしまう…と心配した奥さんが、無理やりかかりつけ医の所に引っ張っていった。
そしてドクターの一言がご主人を救う。
「前のワンコに義理立てする必要はありません。次のワンコを迎えて、いっぱい可愛がってください。」
お二人はその足で、ペットショップに向かった。
ここでなんと薄情な…と眉をひそめる人がいるだろうか?
新しいワンコを迎えることに、罪悪感を感じる必要があるだろうか?
亡くなったワンコは、怒るだろうか?
絶対にそんなことはない。
生きている人たちは、これからも生きていかなければならない。
想い出は想い出として、日々の暮らしを幸せな気持ちで営むのは、誰にとっても大切なことだ。
先日、奥さんが新入りワンコと遊びに来てくれた。
人懐っこい、本当に可愛い子だった。
今度はこの子に精一杯の愛情を注ぐこと、そして飼い主が元気に過ごすことが、前のワンコの供養にもなるはず。
我が家のロッキーは、13歳になる直前に虹の橋を渡った。
もう少し時間はあると思っていたので、私はすごくショックだった。
そしていっぱい後悔した。
スイカにヨーグルトに豆腐、あんなに好きだったんだから、もっと食べさせてあげればよかった。
寒いの暑いの言ってないで、もっといっぱい散歩してあげればよかった。
足腰が弱ってきた時、違う治療を受けさせてやればよかった。
最後の方は階段がきつそうだったのに、叱咤激励して上らせてしまった…。
家人が出かけると、それが短時間であっても、一日千秋の想いで待っていたのに、長いお留守番を平気でさせてしまった。
カーペットに乗りたがっていたのに、毛が付くからと禁止してしまった。
→人と犬の攻防
あれもしてやればよかった、これもしてやればよかった…と後悔のオンパレード。
そうやって自分を責めるのだけれど、でも客観的に見れば、ロッキーは幸せな犬だったと思う。
そしてロッキーと過ごした時間は、私たち家族にとって、間違いなく幸せな時間だった。
あの時私は、自分の悲しみを語る代わりに、短いムービーを作った。
それを何度も観ながら、気が済むまで泣いた。
公開したムービーに、みんなが優しさを寄せてくれて、それが励みにもなった。
4年経った今も、思い出すと抱きしめたくてたまらないけれど、もう涙することはない。
悲しみは昇華して、楽しかった思い出が残っているだけ。
私の最愛のロッキー。見てやってもらえたら、嬉しいな…。