中学3年の頃、とっちゃんという友達がいた。
私もとっちゃんも漫画が大好き。
たくさん読んでいただけでなく、ノートに自作の漫画を描いて見せ合いっこしていた。
そのとっちゃんが大好きだった作家が、萩尾望都。
一方私は、一条ゆかりに心酔していた。
今風に言えば・・・、推しってやつね。
休み時間になると、とっちゃんは萩尾望都の魅力を熱く語る。
中学生程度のボキャブラリーで、よくもここまで・・・と感心するほど、微に入り細に入り言葉を尽くし、心を尽くして。
”好き”のパワーは最強だ。
そしてとっちゃんが熱くなればなるほど、私は自分の推しをさらにプッシュ。
お互い自分の推しのほうが素晴らしいと一歩も譲らず、どこまで行っても平行線ではあったけれど、楽しかった。
二人をそんなにも夢中にさせた漫画。
それを生み出した漫画家はもはや雲の上の人、神様にも等しい存在だった。
だけどその頃の私たちは知らなかったけれど、当時、萩尾望都も一条ゆかりも20代。
ほんの10数歳お姉さんに過ぎない。
卓越した話をいっぱい発表し、読者をメロメロに酔わせてはいても、人生発展途上の若者だったのだ。
作品とはまた別に、日々の暮らしの中に、たくさんの葛藤や苦しみや問題を抱えていた。
もちろん人間関係の悩みも。
本書「一度きりの大泉の話」では、萩尾望都がずっと封印してきた50年前の衝突について、初めて重い口を開く。
「一度きりの大泉の話」のあらまし
小説ではないので、ストーリーではなく、あらまし。
大泉とは東京練馬区の地名。
バス停から徒歩10分、キャベツ畑の中の一軒家に、1970年秋からの約2年間、萩尾望都は竹宮惠子と住んでいた。
竹宮惠子は、言わずと知れた大人気漫画家で、『風と木の詩』や『地球へ』を知らぬ人はいないだろう。
デビューは竹宮が先だったので先輩にあたるが、萩尾もその後めきめき頭角を現し、『トーマの心臓』や『ポーの一族』を発表、時代を代表する作家となる。
そんな二人が、まだ駆け出しの頃、一緒に住んでいたという大泉。
それはまるで手塚治虫のトキワ荘のような存在で、後に大成する多くの漫画家が出入りしていた。
同じ夢、同じ志を持つ若い人たちが集い、さながら合宿のような熱気に満ちていたことと思う。
ところが大泉での同居は、2年で解消。
萩尾は東京を離れ埼玉に居を移す。
その後、竹宮とは没交渉。
あんなに仲良くしていたのに、どうして?・・・と周囲はいぶかしんだが、萩尾望都は理由について口を閉ざす。
悲しい思い出なので、永久凍土の中に封印し、二度と触れないつもりだった。
だが過去の話を語らざるを得ない状況が生まれる。
2016年に竹宮惠子が当時を振り返るような自伝本を出版したのだ。
萩尾についても、かなり触れられているという。
70代を迎えた今、静かに過ごしたいと願う萩尾だったが、周囲はそれを許さない。
竹宮との対談やドラマ化の話が、ひっきりなしに持ち込まれるようになった。
そして当事者の萩尾が語っていないのだから、真実を知ろうはずもない外野が、いつまでも意地を張っていないで・・・などと、和解を薦める。
ちゃんと語らない限り、この喧噪は鎮まらない。
・・・萩尾は重い口を開いた。
身を焼くような悲しみ
胸が痛くなる。
人の悩みは、お金、健康、人間関係の3つに集約されるというが、それは今も50年前も変わらないようだ。
切磋琢磨していた二人の漫画家。
それぞれに類い希なる才能に恵まれている。
だがある日、その関係は、突然終焉を迎えた。
なぜ竹宮が手のひらを返したように冷たくなったのか、萩尾には心当たりがなかった。
なぜ?どうして?
なにか悪いことをしただろうか?
自分の言動が、相手を怒らせたのだろうか?
逡巡しても答えは出ない。
敬愛し、信頼していた人から、いきなり絶縁される辛さは、いかばかりのものか。
理由も分からず切り捨てられる悲しみが、なんとも身につまされる。
その苦しさは心をむしばみ、食い尽くす。
漫画を辞めようか・・・とまで思い詰めたが、萩尾はこの出来事そのものを封印することで、描く情熱を取り戻すことができた。
ネガティブな感情に翻弄されて燃え尽きるよりは、漫画を描こう・・・と。
萩尾望都の素晴らしい作品たちは、こんな苦しみを経て生まれたのだった。
それは作家として、また人としての成長を促したかもしれないが、当事者はほんとうに辛かったことと思う。
表現というのは、その人自身。
すさまじいまでの内面の葛藤が、萩尾の作品にすごみと深みを与えたことは、間違いない。
楽しいこともあった
メインテーマは竹宮との出来事だが、この本には、ほかにも多くの漫画家が登場する。
私の世代には、懐かしい名前ばかりだ。
それぞれとの出会いや繋がりや会話などが、たくさん紹介されている。
少女の頃、私が崇拝していた漫画家たちには横の繋がりがあり、アシスタントをしあったり、悩みを相談しあったりしていた。
まるで私たちと同じじゃない!・・・と親しみを覚えるし、同業同士の繋がりは、ある意味部活のようでもあり、刺激的で楽しかっただろうなぁ・・・と思う。
萩尾望都の昔語りは、彼女のお茶目な部分も引き出している。
編集者に絵柄が地味で読者にウケナイと言われた萩尾は、木原敏江に相談した。
木原は「登場人物はアップ、バックに豪華な花」とアドバイス。
少女漫画で花といえばバラがお約束だが、萩尾はウツギの花を描いた。
なんでわざわざウツギの花?😆
(まあ、かわいいけども)
また原作者をリスペクトする萩尾の真摯な姿勢は、『ハワードさんの新聞広告』を原作者名とともに全編掲載していることからも、うかがえる。
Chikakoの感想
萩尾望都は、自分のことをとろいと言う。
何か言われると頭が真っ白になって、反論ができない。
後になってから、ああ言えばよかったかしら、こう言えばよかったかしら・・・と悶々と悩む。
そしてすぐに、自分のせいだろうかと自責の念にさいなまれる。
人間は感情の生き物だから、時として理性のぶっ飛んだ領域に行ってしまう。
相手の感情をかぶってしまうのは、いうなればもらい事故。
何を言っても、何をやっても、うまくいかない時はうまくいかない。
だから距離を取るのは、いい方法だと思う。
だが!
傷ついた心を放置してはいけない。
忘れてしまう・・・なんてことは、できないのだから。
現に半世紀が経っても、萩尾望都の傷は癒えていなかった。
封印することで、心の奥の奥に沈めることはできるけれど、ちゃんと癒やさないかぎり、傷はずっとそこにある。
ああ、ひどいことされたんだな。
ああ、とてつもなく悲しかったんだな。
ああ、こんなにも傷ついちゃったんだな。
そうやって自分の気持ちを一度きちんと抱きしめてあげなければ、苦しみは昇華しない。
忘却はこのプロセスがあって初めてやってくる。
50年も苦しみ続けた彼女が、この本を著すことで解放されますように・・・と願わずにはいられない。
それにしても、芸術家というのは、なんという孤高の魂の持ち主なのだろう。
こんな苦しみを抱えながら、多くの読者に夢と希望を与える作品を発表し続けてくれたことに、心からの感謝を。
『風の噂なんか、勝手に流れればいい。私は美しいものに出会った。それで満足です。』by萩尾望都
とっちゃん、どうしてるかな。
大好きな望都さまの独白、もう読んだかな。
私が好きな萩尾望都の作品↓