見逃して悔しいなぁ・・・と思っていた映画【ドライブ・マイ・カー】が、ゴールデングローブ賞を受賞した。
お、これは、もしかして再上映が・・・と期待したら、その通りになった。
嬉しい💕
早速、映画館に行くと、ロビーが思いの外、混んでいた。
それがまさか【ドライブ・マイ・カー】のせいだったなんて。
感染の再拡大が始まっていて、密は避けたいところだが、いつもは閑散としている上映ルームに次々と人が入ってくる。
まあ、それでも席の4割が埋まる程度だけれど。(石川県で4割は激混みレベル)
みんな考えることは、一緒だなーーー。😅
映画【ドライブ・マイ・カー】のストーリー
家福悠介(西島秀俊)は、舞台俳優であり、演出家でもある。
家福の舞台は一風変わっていて、チェーホフなどの古典演劇を多言語で演ずる。
英語版とか中国語版とかではなく、ひとつの舞台の中にいくつもの言語が混在する。
日本語で問いかけると、韓国語で返答がある…みたいな。
もちろん舞台では、電光掲示板に翻訳が出るので、観客はストーリーを追うことができる。
だが、分かる言語と分からない言語の応酬は、なんとも不思議な感覚を生む。
ある日、家福は演劇祭の準備のため、愛車を駆って広島にやってくる。
演出家として、これから2カ月かけて、全く新しいキャストたちと「ワーニャ伯父さん」の舞台を作り上げるのだ。
だが事務局の規則として、家福には運転手がつけられることになった。
それが渡利みさき(三浦透子)。
抜群のドライビングテクニックを有するが、化粧っ気もなく、お洒落もせず、無表情で、口数も少ない。
広島市から宿のある瀬戸内の島まで約1時間のドライブ。
その間、車内ではテープをかける。
それは家福の亡き妻(霧島れいか)が吹き込んだテープで、舞台のセリフを読んでいる。
妻が相手役のセリフを読み、家福が自分のセリフを言う。
それはもう長いこと続けてきた、夫婦の習慣だった。
何度も繰り返される車内のセリフと、稽古や本番の舞台場面で、いつの間にか古典戯曲のセリフを覚えてしまう私たち。
感情を抑えて素人っぽく読んでいる妻の声が、なんともいえずエロチックだ。
稽古も終盤を迎え、本番が目前に迫った頃、事件が起こり主役の高槻(岡田将生)が降板。
自身が主役をやるか、舞台を中止にするか、選択を迫られるが、チェーホフは怖いと避け腰になる家福。
気持ちを整理するために、家福とみさきは北海道を目指す。
走る、走る、一路北へと赤いSAABが走る。
亡くなる日の朝、妻は「帰ってきたら、話したいことがある」と言った。
その話とはいったいなんだったのか。
愛しているのに、いや、愛しているから、知りたくなかった。
やるせない後悔にさいなまれる家福は、果たして舞台に立つことができるのか。
(C)2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会
原作は村上春樹
原作は村上春樹の同名の短編。
40ページほどの物語りを、3時間の映画に膨らませたのだから、映画ならではのエピソードや設定も多い。
…が、そこはやっぱり村上春樹。
淡々としていて、ちょっと奇妙で、分かりずらい。
でも分かりずらいからこそ、なんだ、なんだ…、何を言おうとしてるんだ…と観客が引き込まれていくのかもしれない。
延々と続く車内のセリフ、最初はすごく違和感があったが、そのうちセリフの応酬が快感にさえ思えてくる。
劇中劇とでもいうのか、映画の中で繰り返される舞台だが、異言語をごちゃまぜにして演じる必要がどこにあるのだろうか。
いくら翻訳があるとしても、違う言語が飛び交う舞台は違和感満載だ。
おまけに今回のキャスティングには、異言語どころか韓国語の手話も入る。
ユニバーサル?…って、こういうことではないよね。
だけどその違和感がこの映画の欠かせない要素なのだから、ほんと村上ワールドは不思議ワールドだ。
違和感をもてあそぶのは、村上春樹の特技かもしれない。
Chikakoの感想
なんといっても役者がすごい。
ドライバーみさき役の三浦透子の存在感といったら。
最初から最後まで無表情。
若い女性らしくない出で立ち、ぶっきらぼうな受け答え。
だけど感情がないかといったら、そうではない。
傷ついた過去があり、その悲惨な話もするのだが、あくまでも淡々と他人事のように語る。
いつも遠くを見ているような目が伝える感情。
その抑えた演技の迫力に圧倒される。
家福役の西島秀俊、こちらもめっちゃ暗い。
家族を亡くした悲しみだけではなく、妻への不信感や、逃げた自分への嫌悪感など、複雑な感情を抱えている。
自分があぶりだされる舞台が、だんだんと怖くなってくる。
相手の裏切りを知っていることを明かさず交わす、高槻とのやり取りは緊迫感に満ちている。
すごみのある役者。
とても【昨日、何食べた?】のシロさんと同一人物とは思えない。
本当に役者という仕事は、すごい仕事だと改めて思う。
舞台に韓国語の手話で参加するユナ役のパク・ユリム、彼女の手話がとてもとても美しい。
舞台上で長いセリフを手話で演ずるが、韓国語も手話も分からないのに、まるで感情がそのまま伝わってくるようだった。
手話も言葉なんだと、改めて思った。
「ワーニャ伯父さん、それでも生きていきましょう。」
このセリフが全編を通したテーマかもしれない。
物語りの重要な小道具、赤いSAABが広島の街、瀬戸内海の風景、夜の高速、北海道の雪景色に映えて、いいスパイスとなっている。
最後のシーンは、どうしてそういうことになるのか、理解に苦しむ。
「大事にされていたのがよくわかる」と繰り返し言われたSAABなのに。
"よく分からない”を楽しめる人に、お勧めの映画だ。