ピクニックの余韻も覚めやらぬ間に、私たちは再び電車に乗る。
この日の夜は、現地の一般家庭に招待されている。
電車で3駅ほど。
先ほど別れ際に、彩希さんに手伝ってもらって、キオスクで購入したパスを使う。

3日間有効のパス。
電車もバスもトラムも乗れる。

初めて使う時だけ、車内の読み取り機にかざしてアクティベートすると、そこから72時間有効になる。(何日分にするかは、購入時に選べる)
郊外のお宅を訪問
訪問するのは、ペトリさんとたえさん夫妻のご自宅。
元々たえさんは、ケビンの奥様の高校時代からの友人。
家族ぐるみのお付き合いが続いていて、今回ヘルシンキに行くにあたり連絡を取ってみたら、「せっかくなので、みなさんと一緒に遊びに来て💕」という有り難いお申し出があり、遠慮の欠片もない私たちは、二つ返事で飛びついたのだった。😅
ケビンだけならともかく、見ず知らずの熟女が5人もぞろぞろ着いてくる。
おもてなし精神、ここに極まれり。

赤いシートの電車に乗って、目的の駅に着いたけれど、また改札がない。

道ばたから、直接ホームに出入り自由。
日本は落とした財布が必ず戻ってくる国と世界でも有名らしいが、性善説は北欧も負けていない。
ご夫妻のお家は、緑豊かな一本道を10分ほど歩いた所。
スマホの地図アプリを見ながら歩いていると、住宅街に出た。
住宅といっても、一軒一軒の敷地がとても広く、だいたい雑木林付き。
ペトリさん、たえちゃん、こんにちは~~。

まずはお庭で乾杯しましょう。
気持ちのよい夕方の風を受けながら、とりあえず自己紹介などを。

後ろの雑木林もお庭の一部だって。スケールが違うね。
私は見逃したけれど、シカが駆け抜けていったらしい。
ちょっと陽射しが眩しいなぁと思いながら、ふと横を見ると・・・

アラブのマダムが座っていた😆
日除けのつもりだろうけれど、異様に似合っている。
BGMは久保田早紀の【異邦人】かな。

11年前の男の約束
奥様の友人ということで、ケビンとたえちゃんは面識があったが、ペトリさんに初めて会ったのは2014年のニューヨーク。
当時、ペトリさんは大都会で活躍する経済ジャーナリスト、たえちゃんは誰もが知る全国紙の特派員だった。
生き馬の目を抜くニューヨークで2人は出会い、恋に落ち、結婚して、ペトリさんの故郷、フィンランドに移り住んだ。
眠らない街ニューヨークの刺激に満ちた暮らしと、ヘルシンキの自然に囲まれた静かな暮らし。
どんな心境の変化があったのだろう。
現在、ペトリさんは環境保護、生物多様性、生態系などについて発信するエコロジー雑誌の編集長だ。
たえちゃんはフィンエアーのグランドスタッフとして働いている。
自宅の地下にサウナを持ち、雑木林付きのお庭でブドウやベリーを摘み、庭のコンロに火をおこしてバーベキューを楽しむ暮らしは、ニューヨークとは対照的なライフスタイルだ。
暮らしそのものが、自然との共生を感じさせる。
出会った時、ケビンとペトリさんは「次はフィンランドで会おう」と約束した。
その後、ご夫妻は予告もなくふらっとケビンの自宅に遊びに来たことがある。(たえちゃんのホームタウンでもある)
でもフィンランドで会う約束はずっと果たされぬままだった。
この日、11年ぶりに男の約束を果たせた・・・とケビンは嬉しそうだった。

(9年前、日本にて)
おもてなしディナーとフィンランドの気骨
サーモンが焼けたよ~~と、ペトリさんが私たちを呼ぶ。
庭で優雅にシャンパングラスを傾けている間、オーブンの中ではサーモンがローストされていた。

可愛く設えられたテーブル。
グラスに入っているのは、たえちゃんが作ってくれたカップ寿司。

もしかして、この日のテーマカラーは黄色なのかな。
ナプキンも生けられた花も、明るいイエロー。

みんなを席に案内し、ペトリさんがワインを注いでくれた。
欧米のご家庭では、お客様が来ると、男性がホストとして大活躍する。(クラブの黒服のことじゃないよ。パーティなどの男性主催者のこと)

柔らかい陽射しが注ぎ込む明るいダイニングで、二度目の乾杯🍷

ホストはサーヴィスだけではなく、調理も担当する。
メインディッシュのサーモンのローストは、ペトリさんのお手製。
いやはや、本場のサーモンはホクホクしていて本当に美味しい。
そしてペトリさんが極上の笑顔で取り分けてくれるので、二度美味しい。

デザートはラズベリーのアイスクリーム。
立方体で出てくるなんて、斬新!
デザートをつつきながら、話題はフィンランドの歴史について。
フィンランドは、スウェーデンに600年、ロシアに100年支配・干渉されてきた歴史がある。
第二次世界大戦時、バルト三国はソ連軍の基地を受け入れ駐留を許したが、フィンランドは拒んだ。苛立ったソ連は、フィンランドから先に攻撃されたと偽り、侵攻を開始。冬戦争の始まりだ。
戦力の差は歴然としている。世界もフィンランドは3日ともたずに、降伏するだろうと同情した。
それでも大国ソ連にNOを突きつけ、貫き通す。
戦後、バルト三国にはソ連軍がそのまま駐留しつづけ、結局、併合されてしまう。それから独立までの苦しい日々は、ご存知のとおり。
フィンランドは結局、ソ連に勝つことはできず、領土を削られ、ドイツと仲良くしたことで枢軸国とみなされる不運もあったが、独立だけは守り通した。
だからなのか、自分たちの国は自分たちで守るという意識がとても強い。
ロシアと国境を接する国。しかもその国境線が長い。そして現在のきな臭い状況。
全人口が大阪府と同じ500万人のフィンランド。
だが国家のアイデンティティが侵されるような事態が起ったら、我々は戦うと、ペトリさんは言う。
全ての国民にその覚悟はある。
それくらい自国のアイデンティティと誇りは大切なのだ・・・と。
穏やかな口調だったが、その奥に歴史に裏打ちされた、強い想いを感じた。
戦争の記憶
いつまで経っても日は暮れないが、おいとまの時間が来てしまった。
名残惜しいとは、こういう感覚を言うのかな。
今日会ったばかりのたえちゃんとペトリさんに、私たちはすっかり魅了されてしまった。
なんて素敵なご自宅。なんて麗しいご夫婦。なんて自然な暮らし方。
私たちの気持ちを察っしてくれたのか、お二人が駅まで送ってくれることになった。
ちょっとだけ回り道して、戦争中に使われた砲台跡を見学。

街を見下ろす高台に、砲台が残っていた。
大人の男達は戦争に行っていたので、少年達がここから砲撃して、街を守ったのだとか。
確かに勇ましい。語り継がれてしかるべきだと思う。
だけど私はそれを武勇伝とは呼べない。
年端もいかない少年が、そんなことをしなければならなかったなんて。
自分の息子がその少年だったら・・・と考えると、胸が潰れる。
本来なら、遊び、学び、すこやかに成長していく時期に、武器をとって戦わなければならない世界。戦争というものの禍々しさ。人類はいつになったら学ぶのだろう。
物言わぬ砲台は、静かに夕陽を浴びながら、80年前の戦いを今に伝える。

旅人は普通、その街の美しさや美味しさや楽しさを甘受して通り過ぎるだけで、なかなかそこで暮らす人々の日常に触れることはない。
たえちゃんとペトリさんのお宅に招かれたことは、食事をご馳走になっただけではなく、フィンランドに触れて感じる、またとない機会となった。
さよなら、たえちゃん、さよなら、ペトリさん。今日はどうもありがとう。
またいつかどこかで会おうね・・・と駅で別れを告げる。(この約束は意外とはやく果たされる)

(すでに21時を過ぎているのに、夜遊びしているカモたち)
→北欧の旅2025⑭につづく
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