怒りは感情の蓋 その下にあるものこそが本当の気持ち

怒りは、感情そのものというより、リアクションだと思う。

誰かがなにか言うかするかして、それが貴方の気分を害する。

なんでそんなこと、言うかな?

余計なお世話!

なんの権利があって、私を傷つけるの?

考えれば考えるほど、イライラする。キーーーーーッ!

寝ても覚めても、その不快な気持ちにフォーカスして、やがて怒りは本来の事案を越えて、どんどん増大していく。

もう収まりがつかない。

・・・でも、どうしてそんなに腹が立つの?

同じことを言われても、全然平気な人もいるのに。

 

それが怒りはリアクションだと私が思う理由。

誰かの言動は、確かに貴方の心をかき乱した。

だが端から見ると、意外とたいした言動ではないことが多い。

幼児ならいざしらず、大の大人がキリキリするほどのことではない。

だけど人の心は奥深い。

これまで経験してきた感情の記憶が、全部刻み込まれている。

嬉しいことや楽しいことは問題ないが、傷ついたことは小さな傷跡となって心にしまい込まれ、ずっと残っているのだ。

本人はもう忘れたと思っているとしても。

今日の相手の言動は、その傷跡に触れたのだ。

貴方の中に元々あった痛い部分、なにかの拍子にかさぶたが剥がれちゃう傷、本当は思い出したくもない記憶、それが刺激されたのだ。

だから「触らないでよ!」と防御反応としての怒りが発動する。

今、怒っているということは、心の蓋がカタカタ揺れているということ。

ぴったり閉まっていた蓋に隙間ができたのだから、その奥をのぞくことができる。

いったい私の中の何が反応しているのだろう?

それは過去の寂しさだったり、悔しさだったり、恥ずかしさだったり。

分かってほしかった、私を見て欲しかった、話を聞いてほしかった、受け止めてほしかった、愛してほしかった・・・そんな想いかもしれないね。

昇華されない過去の悲しさが、怒りの蓋を押しあげようとしている。

蓋

だから目の前の相手にファイティングポーズを取るよりは、自分の内側をしっかり見てほしいな。

現実の相手と戦って、相手がいかに間違っているか、理不尽か、非常識かを立証したって、きっと貴方はしあわせを感じられない。

それよりも自分の過去の傷を手放す絶好のチャンスを、どうか逃さないで。

あの時、あんな悲しい感情を味わって、私は傷ついたのだ、・・・そう認めてあげることが、傷を癒やす第一歩になる。

平気よ、無視されたって。

別にたいしたことじゃないから。

泣いたら負け。

・・・そんな風に強がって封印した過去の傷は、だってまだそこにあるじゃない!

今、全然関係ない人の言動にそこまで反応しているのは、その傷跡が「気づいて~~~!」と主張しているからだよ。

この傷をしっかり見て、認めて、手放してあげない限り、これから先も同じようなシチュエーションで同じような反応が起こり、貴方は苦しいままだ。

相手を赦す・・・んじゃない。

自分を赦すんだ。

こんなにも長い間、見て見ぬふりをして、心の傷を癒やそうとしなかった自分を。

苦しい感情から自由になるには、こうやってひとつひとつ過去の傷を手放していくしかない。

遠回りに見えるかも知れないけれど・・・。

 

大丈夫、こんな機会が巡ってきたのは、貴方にはその過去を乗り越えていく力がすでにあるから。

だから大丈夫。

勇気をもって直視してみて。

 

この記事を書いた人

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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