お風呂に入っている時とか、お皿を洗っている時とか、洗濯物を干している時とか、なんでもない時にふっと言葉や考えが降ってくることがある。
今回は散歩をしている時だった。
大好きな庭の砂利を踏みながら歩を進め、足を地面に下ろした瞬間、降って湧いたように目の前に浮かんだ言葉。
だってしょうがないじゃない、エネルギーが違うんだから。
空は青く、菜の花は黄色い海みたいで、小鳥のさえずりが高く低く響き、春爛漫のその中で、なんの脈絡もなく、全ては突然、腑に落ちた。
なんでだろう…とずっと考えていた。
どうしてこうなってしまったんだろう…と自分の来し方を顧みもした。
このことに一体どんな意味があるのだろう…と、内外に理由を求めていた。
それが一瞬のうちに、ぽんと、こんなに簡単に。
エネルギーが違うとはどういうことか。
人にはそれぞれ固有の波動がある。
大人の身体はだいたい60兆個の細胞から成り、そのほとんどは水。
細胞内の水は常に揺れている。それが水の性質だから。
60兆個分の揺れの集積…、それがその人の波動だ。
人と人とが出会う時、波動が触れ合う。
共鳴することもあれば、不協和音を奏でることもある。
実際には聞こえなくても、ずっと波動の不協和音が鳴り続けていれば、疲れるし居心地が悪い。
どっちが悪いという話ではなく、ただただ波動が合わないだけ。
無理して不協和音をかき鳴らし続ける必要はないよね。
あわない波動は、磁石のN極とS極のように相容れない。
ひとつ所にはいられないのだ。
なんだ、こんなに単純なことだったんだ…。