【「死」が教えてくれた幸せの本質】船戸崇史著 /2000人を看取った医師からのメッセージ

本書【「死」が教えてくれた幸せの本質】を、どう表現していいのか、よく分からない。

何度も途中で本を置いた。

特に最後のK君のお母さんの手記は、胸に迫るものがあって、合間に深呼吸を挟みながら読んだ。

「死」という誰もが避けて通れない、だが直視したくないテーマを扱っているからなのか。

でも「死」を知ることが、生きることに繋がるとも言う。

死ぬとはいったい、どういうことなんだろう。

著者・船戸崇史先生

船戸崇史先生は岐阜・養老にある船戸クリニックの院長先生。

奥様の博子先生とは親交が深いが、崇史先生とじっくりお話をしたことはまだない。

船戸クリニックは外科、内科、胃腸科、整形外科、泌尿器科など一般診療のほか、在宅診療、デイサービス、グループホームなど、幅広く地域医療に貢献している。

漢方やセラピーを主体にした統合医療センターや、宿泊施設のヴィラカンポは、私の大好きな場所で、関市洞戸には日本初のガン予防滞在型リトリート施設「リボーン洞戸」もある。

西洋の医療と東洋の医療をうまく組み合わせた総合施設だと思う。

人を肉体だけではなく、心や精神や魂まで含めたトータルな存在として扱い、病気を治すだけ…ではなく、いかに生き、いかに逝くかまでを含めて考えている。

私も自分の残り時間が少し気になるお年頃。

消化器腫瘍外科から在宅医療に軸足を移し、これまでに2000人を看取ってきた崇史先生の「死」に関する考察を、ご著書を通して知りたいと思った。

船戸崇史先生
(2021年12月、船戸クリニックでのウォン・ウィンツアンさんのコンサートにて)

患者さんと家族に寄り添う在宅医療

自分のメスではガンに勝てない…。

まだ若き30代でそう悟った崇史先生は、人間の存在そのものに根ざした医療を目指し、船戸クリニックを開業する。

在宅医療…、つまり入院加療のメリットがなくなり、自宅に帰った患者さんたちに最後まで寄り添いケアをする医療に乗り出した。

たくさんのお看取りをしてきた。

残された時間が少ない人たちに、残り時間がわずかだからこそ、その貴重な時間をどう生きるか問いかける。

貴方はどうしたいの?

家族の都合ではなく、貴方はどうしたいの?

同時に愛する人の死を受け入れなければいけない家族の気持ちにも寄り添う。

頑張れという言葉は、痛みに耐えてこんなに頑張っている人に対して、酷なのでは?

死なないで…ではなく、ありがとうを伝えてみたら?

 

これまで崇史先生が関わってきた患者さんと家族のエピソードがいくつも語られる。

100人の患者さんがいれば、100通りの逝き方がある。

そして崇史先生は何度も「順番だから」…と言う。

貴方も私も家族も世界中の誰もが、みんないつかは死ぬ。

それだけは決まっていて、変わることはない。

そこにあるのは順番、ただそれだけ。

だから向こうに行って待っててね…と。

死ぬ間際に大切な5つの言葉

死を目前にして、多くの言葉は語れないかもしれない。

だけど人が向こうの世界に行く時に伝えたいのは、だいたい5つの言葉に集約されるとのこと。

「ごめんね。」

「ありがとう。」

「また逢おう。」

「愛しているよ。」

「さようなら。」

ああ、とてもシンプル。

失敗や挫折や恨みの多い人生でも、最後のこの言葉で、全て赦される…と崇史先生は説く。

これは死ぬ間際だけでなく、生きていく時にも大切な言葉だ。

大切な人には、本当は毎日でも伝えなければいけない言葉。

いろいろなものがそぎ落とされた後に残るのが、こんなにシンプルな5ワードだなんて。

複雑に思える人生も実は複雑にしているのは自分自身で、本当はもっとシンプルなのかもしれないね。

Chikakoの感想

「死」を意識すると、「生」の捉え方は確実に変わる。

誰にでも死は訪れるけれど、普段私たちはそのことを忘れている。

いや、忘れたふりをしている。

怖いから…。

知らないこと、未経験なことは怖いよね。

だからといって目を背けて、この生がずっと永遠に続くと思っていたら、今という時の大切さや重みを見失ってしまうように思う。

始まりがあれば、終わりがある。

終わりがあるから、全てが尊い。

きれいな花だって、永遠に咲き続けるからではなく、散ってしまうから美しいのだ。

 

最後に紹介されるK君は、水頭症性無脳症。

生まれつき脳がない。

頭蓋骨の中は、脳ではなく体液で満たされている。

生まれてからずっと新生児集中治療室にいて、何度も手術をしたが、ご家族はK君を家に連れた帰りたいと望んだ。

病院にいれば、あらゆる急変にプロが対応でき、安心ではある。

だが大変なことは承知の上で、ご家族は在宅医療に踏み切る。

献身的に看護するお母さんの負担は相当なものだった。

それでも家族5人、自宅で過ごした1ヶ月あまりは、言葉では表せない、貴重な貴重な愛の時間となった。

1年2ヶ月の人生で、K君は大きなギフトを渡して天に還っていった。

その一部始終がお母さんの手記として残されている。

本当に経験した人にだけ書ける真実の記録。

我が子を見つめるその眼差しに、関わるとは、生きるとは、死ぬとはどういうことか、人とは、家族とは、愛とはなにか、…たくさんの問いが見え隠れする。

K君はただそこに在るだけで、鏡のように相手の心を映し出した。

生かされていることへの畏怖の念、そして与えられた生をちゃんと生きているのか…という問いかけが、木霊のようにひびく。

 

生きていることの幸せ。

それは死を見据えた向こうにしか存在しない境地です。

 

いつかは自分の順番がくる。

その時になってあたふたしなくてもいいように、そして今という時をより大切に扱うために、一度、「死」についてじっくり考えてみるためのガイドとして、本書をお薦めしたい。

この記事を書いた人

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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