台風19号が上陸した週末、本来なら私は横浜にいるはずだった。
だが事前に予定がキャンセルとなり、おとなしく家にいることにした。
横浜で娘と食事もする予定だったが、それも取りやめ。
代わりに娘が金沢に帰省した。
週明けは火曜日の午後に登校すればいいとのことで、長目の滞在になるはずだった。
ところが、大型の台風が日本列島を直撃。
広範囲でものすごい被害が出た。
これもそのひとつ。
衝撃的な光景だった。
水に浸かった新幹線が、寒いよ…冷たいよ…と泣いているみたいだ。
金沢と東京を結ぶ北陸新幹線は、2015年の3月に開業した。
それ以来、いったい何回乗ったことだろう。
前職の時は、月に2回か3回、お世話になっていた。
開通前、金沢から上京するルートは4つあった。(車は除く)
①小松空港から羽田に飛ぶ
②ほくほく線で越後湯沢に向かい、上越新幹線に乗る
③米原から東海道新幹線に乗る
④高速バス
競合がいなかった当時の飛行機は、けっこう強気の値段設定をしていたし、ほくほく線は時間がかかり、米原経由は、一度逆方向に行くので無駄が多く、夜行バスは翌日がつらい。
5年前まで、金沢から東京に行くのは、けっこうハードルが高かったのだ。
ところがどうだろう、北陸新幹線が開通すると、金沢ー東京がたったの2時間半。
大阪までは3時間かかるので、断然東京が近く感じられるようになった。
長らく富山の受験生は関東圏を、石川の受験生は関西圏を目指すと言われていたが、新幹線は受験生の傾向まで変えてしまった。
関西の大学はさぞ慌てたことだろう。
関東に進学した娘も、気軽に帰省してくる。
日帰り往復も可能となり、私の周囲の人たちも、ちょっとそこまで…気分で上京し、セミナー受講したり、美術館に行ったり、観劇したり。
本当に東京の敷居が低くなった。
そして今回、長野ー糸魚川間が不通となり、私たちはどれほど北陸新幹線の恩恵に浴していたのかを、思い知ることになる。
娘は予定を1日早め、月曜夜のJALの最後の1席をゲットして、戻っていった。
それもJALが、新幹線の不通に配慮して、大型機に変更してくれたから得られた席らしい。
その後、飛行機の座席は、土日も平日も満席状態が続いている。
あと私たちに残されたのは、しらさぎで米原に出て、そこから東海道新幹線に乗り換えるルート。
目的地には着けるが、1時間半も長くかかる上に、5000円以上高くなる。
なくなってみて初めてわかる、その偉大さ。
私たち、北陸に住む者が、どれだけ新幹線に依存していたのかが改めて浮き彫りになった。
そして私たちが、どれだけ新幹線を愛しているのかも。
新幹線は精密機械の塊だから、水没したら、そう簡単には直らないだろう。
水没したのは10編成。1編成だいたい30億円だって…。
線路も水に浸かっているわけだから、全線点検するには相当な時間がかかるはず。
年内くらいはかかるのかな。
…と思いきや、昨日の夕刊で、25日から全線開通というではないか!
しかもあちこちの路線の車両も借りて、被害前の9割のダイヤが復活するらしい。
凄いな…。復興を支えている技術者たち。
凄いな…。折れないメンタル。
凄いな…。日本の底力。
5年前の3月、開業1週間目の新幹線かがやきに乗って、娘が巣立った。
甘えん坊の彼女にとって、親元を離れることはいいことだとは思ったけれど、やっぱり掌中の珠を手放すのは辛い。
新幹線が走り去ったホームに残り、私はひとりたそがれていた。
まさにイルカのなごり雪。
『君が去ったホームに残り
落ちては溶ける雪を見ていた
今 春がきて 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった』
彼女を連れ去った新幹線は、年に何回か、彼女を連れて帰ってもくる。
私たちにとって、大切な大切な移動手段なのだ。
北陸新幹線が、またびゅわーん、びゅわーんと走る日を心待ちにしている。