2年越しで、空き家の片づけをお手伝いしています。
築60年の古い家。間取りは広く、空間という空間に、何代もの人々が溜め込んだモノがぎっしり詰まっていました。
今、その家は空き家となり、親戚の方がこのまま放ってはおけない…と、片づけに着手しました。
ところが、あまりにも膨大なモノたちが発する、とてつもない圧力に出鼻をくじかれ、私にヘルプコールが来たのでした。
それが2年前の9月。それから、日曜日ごとの作業が始まります。
出しても、出しても、出しても、果てしなくわいてくる不要物。
そのどれもが、埃を被って忘れ去られ、長い間放置されてきたモノでした。
マスクとほっかむり、時にはアレルギーの薬を服用し、埃まみれになりながら、汗だくの作業。
そうやって出したゴミは分別して、燃やすゴミに出したり、処分場へ自己搬入したり。
私は毎回ではありませんでしたが、親戚の方は、黙々とよく頑張られました。
平日は仕事をしていて、日曜日が唯一の休日なのに、2年分の日曜日を、ゴミの片づけに捧げたのです。
なにより虚しかったのは、これが希望につながる作業ではなく、誰かの尻ぬぐいだったということ。
たとえ親族であったとしても、誰かが残したゴミの後始末に過ぎないのです。
よく「自分の目が黒いうちは、何も触ってくれるな!死んだ後なら好きにしていい」と仰る方がいますが、死んだ後に、どんな作業が待ち構えているのか、ご存知なのでしょうか。
似たようなケースをいくつも見てきて、私は自分の子どもや孫(まだいないけど)に、こんなことはさせない…と心に誓いました。
自分のゴミは自分の手で!(←これ基本です)
さて、そんな空き家ですが、先日仏壇納めも終わり、売却されることになりました。
住む人がいなくなった家は、どんどん荒れます。
今後、その土地に戻る予定がないのであれば、家そのものが不要物となります。
思い出がいっぱい詰まっていて、なかなか辛い決断だと思いますが、今生きている人とその生活を大切にするために、手放すことになりました。
不動産屋さんによると、できるだけ生活臭をなくしたほうが、はやく決まるとのこと。
…となると、売り物件の看板が立つ前に、内部をすっからかんにしなくてはなりません。
ここで再び私にヘルプコール。
もう!この私に、モノの取捨選択ではなく、ただ捨てる手伝いを頼むとは、いい度胸よね?
…なんて言いませんよ、もちろん(^^ゞ
ここまで手伝ったんだから、乗り掛かった舟です。
最後まで見届けたい…。
もうそんなにモノはないだろう…とタカをくくっていましたが、私の考えが甘かった…。
モノって、どうしてこんなに執念深くはびこるのでしょう!
すっからかんにはほど遠く、また全力作業の予感が…。
ダンボールをたくさん用意して、ローラー作戦で、片っ端から残ったモノを詰めていきました。
あっという間に、広い玄関の三和土が、ダンボールの山。
毎回、SUVで捨てに行きますが、トラックがあったらよかったなぁ…。
ゴミ処分場にも、2年間で20回くらい行ったかもしれません。(もちろん処分は有料)
運びきれなかった分の運搬は、次回に持ち越しです。
このお家も、間もなく誰かの手に渡ると思うと、感慨深いものがあります。
また誰かが住まうのか、更地になってしまうのか…。
まぁ………、この家を片づけることで、不要物の処分を先延ばしにすると、子孫に大変な迷惑がかかると学んだ私たちは、とりあえず自宅の断捨離、頑張るとしましょうか…。
空き家から何が出てきたか、ご興味とお時間がある方は、こちらをどうぞ(^^)/