ドラマ版の再放送をチラッと見て、ストーリーが思い出せないなぁ…と、再読した。
究極の愛とは、罪の共有。
共犯ではなくて、共有すること。
その罪に自分は加担していなくても、真実を知っていて、一生そのことは口にせず、黙って離れる…、当人を守るために。
当人は守られていることすら知らない…。
それが究極の愛。
希美、望、西崎、野口、成瀬、奈央子、野原…、登場人物はみんなイニシャルがN。
Nは誰かにとって、とても大切な人。
誰が誰のNかが曖昧なまま、それぞれが少しずつ嘘をつく。
自分の大切なNを守るために。
その小さな嘘が幾重にも折り重なって、悲劇が起きる。
野口と奈央子の死。
誰も直接、その瞬間を見ていない。
みんながそれぞれ嘘をついているので、誰も事件の全貌は知らない。
罪を認め、ひとり逮捕される西崎。
手を下したのは彼ではない。
…誰もが薄々そう感じていた。
なぜ西崎は、わざわざやってもいない罪を認めたのか?
なぜなんの弁明もせずに、服役したのか?
なぜ出所後も、ずっと口をつぐんでいるのか?
自分のためではない。愛するNのためだ。
身体中、傷だらけになりながら、奈央子はなぜその状況を甘受しているのか?
それがNの愛を受け止めた証だと思っているから。
希美、望、西崎は、なぜボロアパートを守るために奔走したのか?
天涯孤独のNに、家族のような愛情を感じていたから。
希美はどうして「巻き込みたくない」と距離を置こうとするのか。
一重に上昇志向の強いNの邪魔をしないため。
いびつな形かもしれないけれど、みんな動機は愛なのだ。
そして自分のNに対して、自分の想いをはっきり告げない。
だからNたちは、自分が何をしてもらったのか、分かっていない。
複雑に絡まった糸が少しずつほぐされて、本当は何があったのかが明らかになってくる。
動機が愛だけに、それぞれの嘘が仇になっていたことが、哀しい…。
私が読み落としてしまったのか、料亭さざなみに誰が火をつけたのかが、断定されていない。
あとは読者におまかせ…ということか。
表紙にも描かれている籠の中の鳥がキーとなる。
西崎が書いた、お世辞にもうまいとは言えない、小説「灼熱バード」。
熱せられたオーブンに自ら飛び込む鳥は、愛の形だと西崎は言う。
それを一番理解できたのは、誰なのか。
もしかしたら西崎が思っていたNとは、違うNだったのかもしれない。