史上初、直木賞と本屋大賞をダブル受賞した、恩田陸の蜜蜂と遠雷。
その内容から、映像化は無理と言われていたが、度肝を抜く高い完成度で、きらめく音の宝石箱のような映画が生まれた。
7年前のドタキャンを機に、表舞台から姿を消した天才ピアニスト・亜夜(松岡茉優)が再起をかけて挑む国際コンクール。
そこで3人のコンテスタントに出会う。
年齢制限ギリギリ、妻子を持ち、楽器店で働きながら、ピアノを続けている明石(松坂桃李)。
生活者にしか奏でられない音楽があるはずだ…と、もがいている。
亜夜の幼馴染で、現在はジュリアード音楽院で学ぶ、実力・人気を兼ね備えたカルロス(森崎ウィン)。
コンクールの大本命だが、本選を前に、オーケストラとのずれに悩む。
養蜂家の父親とヨーロッパを渡り歩き、基本的なトレーニングを受けていないにも関わらず、”ピアノの神様”と呼ばれる人物の紹介状とともに現れた謎の少年・塵(鈴鹿央士)。
風の音を聴き、波の音を聴き、遠雷の音を聴き、地球が鳴っている…と感じる感性の持ち主。
何日にも及ぶ、予選・本選の間に、それぞれがそれぞれの表現を巡って、悩み苦しむ。
「お姉さんは、どうしてピアノを弾いているの?」
塵の問いかけ。
「ステージから降りると、いつも迷っているみたいに見える。」
そう、亜夜は苦しんでいた。
7年前のドタキャンの決着を、誰よりも自分につけたがっていた。
天才少女と呼ばれ、数々の賞を総なめにしてきたけれど、そもそも何のためにピアノを弾くのか。
ピアノを弾くことは、楽しいのか、辛いのか、嬉しいのか、悲しいのか…。
一次予選通過の後、古ぼけたピアノ工房で、寒さに震えながら、亜夜と塵がピアノを弾くシーンがある。
窓から差し込む月明かりが、二人を照らす。
そして即興アレンジで奏でられるのは、カル・デ・ルーン(ドビュッシー)、It’s Only a Paper Moon(H.アーレン)、月光(ベートーヴェン)。
月に照らされながら、月にちなんだ曲を弾く…。
なんて美しいシーンだろう。
音楽は、音を楽しむと書く。
その刹那しか存在しないが、元々とても美しくて、生命の歓びがわきあがるもの。
次の瞬間には消えてしまう、美しくもはかない宝物。
二次予選の課題曲「春と修羅」は、既存の曲ではなく、この映画のために作曲された。
手掛けたのは、ロンドンを拠点に活躍する作曲家・藤倉大。
曲の後半部分に、ピアニストが自由に即興で弾くカデンツァがある。
4人が披露する個性的なカデンツァは、大きな見せ場だ。(それも藤倉さんの作曲)
ピアノを弾くシーンは、全員が実にリアルに演じているが、もちろんピアニストは他にいる。
しかも4人それぞれに専属のピアニスト。
亜夜 → 河村尚子
明石 → 福間洸太郎
マサル → 金子三勇士
塵 → 藤田真央
いずれも超一流の若手ピアニストだ。
彼らは完全な裏方で、表には一切出てこない。
なにもここまでしなくても…と思わないでもないが、この映画がいかに丁寧に真摯に作られたかの証明でもある。
残念ながら、私には4人の演奏を聴き分けるだけの耳がないけれど、分かる人には超絶面白い仕掛けだと思う。
明石が「君たちは天才だ」と言う。
ほんの一握りの、神に祝福された才能を持つ者。
だがその才能が天才を追い詰める。
本選を前に、逃げ出そうとする亜夜。
果たして彼女は、再び自分の音と出逢うことができるのか。
クラシックが好きな日本人は、全体の3%とどこかで読んだ。
でもコアなファンでなくたって、私たちの日常に音楽は溢れているし、クラッシックの名曲はきっとどこかで耳にしているはず。
たとえば冒頭、幼い亜夜とお母さんがピアノで遊んでいるシーン。
ショパンの雨だれがベースになっているが、あくまでも子どもと音で遊んでいる。
ただでたらめに鍵盤を叩いているように見えて、ちゃんと雨だれが鳴っているのだ。
そして母はささやく。
『貴女が世界を鳴らすのよ』…と。
この素晴らしい映画が、クラシック音楽はちょっと…という理由で敬遠されるのは、もったいない。
それこそ人生の損失だ。
できれば映画館の大画面とサウンドで味わってほしいと思う。
脇役ながら、ブルゾンちえみと片桐はいりが、なかなかの存在感を醸し出している。
斉藤由貴のセリフの半分以上が英語というのも、新境地だ。
余談だが、ピアノがテーマの「羊と鋼の森」もおすすめ♡