大嘗祭の時刻、人っ子一人いない夜の白山比咩神社にて

大嘗祭とは、天皇陛下がご在位中に一度だけ執り行われる神事。

神事…と言ってしまっていいのかどうか、私にはよく分かりません。

秋篠宮殿下は、宗教色が強いと仰いましたが、元々日本は太古から八百万の神々を崇めてきた国です。

もはや宗教というより、伝統なのでは…?

1200年も脈々と受け継がれる伝統を、27億円もの税金で継承する国は、世界広しといえど、日本しかありません。

そんな日本に生まれたことを、私たちはどう捉えればいいのでしょうか。

大嘗祭

笑えるスピリチュアルのさとうみつろうさんが、大嘗祭の前々日、ひとつの呼びかけをしました。

大嘗祭は天皇陛下が国民を代表して、感謝を捧げる儀式で、その前々日の12日に、日本全国の神社で一斉にお祓いが執り行われました。

つまり大嘗祭に先駆けて、国土の穢れを祓ったのです。

では、その大地に暮らす1億2600万人は、何もしなくていいのでしょうか?

場の雰囲気を作り上げるのは、一人一人が吐き出す息です。

ならば、私たちは、せめてその日だけでも、不平・不満ではなく、感謝の息を吐き出しませんか…と。

 

ああ、なるほどな…と思いました。

さとうみつろうさんは、できれば大嘗祭の前に、神社で祈ることを勧めておられました。

私たちも、自分をクリアリングすることで、新しい時代を迎える準備をするためです。

 

ただ…いろいろあって、私は神社に行く時間が取れませんでした。

そして大嘗祭が始まり、外は雨と風で大荒れに。

でも夕飯を食べていても、後片付けをしていても、気になって仕方がなかったので、今からでも…と思い立ちました。

近場に神社はいくつもありますが、普段行っていない神社にこんな時だけ行くのもなぁ…と、私が一番よく行く白山比咩神社へ。

自宅からは片道40分。雨風の中、一人でドライブするには、ちょっと遠い。

でも、いいや、行っちゃえ!

今日は特別な日だから、きっと私以外にもお参りしている人はいるはず。

もしかしたら、大嘗祭と同時に、かがり火を焚いたりしてるかも。

白山比咩大神

予想に反して、白山比咩神社は、静まり返っていました。

広大な駐車場は空っぽで(和田屋さんの前に数台だけ)、街灯はついているものの、夜の闇に溶け込んでいるかのようでした。

社務所も閉まっていて、人の気配がありません。

樹齢何百年という杉の大木が黒々とした影を作り、まるで音のない世界。

こんな白山比咩神社、見たことない…。

ここが学校や寺だったら、怖い…と感じたかもしれません。

でも不思議と気味が悪いとは思わず、なんだか神聖な場所に招き入れていただいたような、そんな感覚。

いつものように二礼二拍手一礼。

二礼が自然ととても丁寧になりました。

90度腰を折って、10秒ずつくらい。

続いてニ拍手した時、足元がフワフワして、頭が引っ張られるような感覚がありました。

なんだろう、これ…。

私はいろいろと鈍いので、あまり感じないほうなのだけれど。

そして自分の口から出てきた言葉に、自分がたまげました。

 

「祓いたまえ、清めたまえ、私を、大地を、この国を。」

 

あたし、ナニモノ?

普段の私なら、絶対口にしない言葉。こんな語彙、私の辞書にはないもの。

でも身体の奥から、言葉が湧き出てきた感じでした。

 

思わず目を開けて神殿を見たら、涙がツツーーーッと。

 

よく分かりませんが、昨夜、皇居で大嘗祭が執り行われている時刻、なにやら不思議なエネルギーが国土を覆っていたようです。

白山比咩神社

感謝を捧げ、最後に一礼。

相変わらず誰もいない境内を歩き駐車場に出た時、雨が降っているのに、雲の切れ目から大きな月が見えました。

ほんの一瞬でしたが。

 

そして今朝、空に虹がかかりました。

カメラを取りに行ったわずか数十秒で消えてしまうほど、はかない虹でした。

 

令和の時代は、きっと私たちの意識が作っていくのでしょう。

争いや憎しみや妬みではなく、慈しみといたわりと協調の時代になることを願ってやみません。

白山比咩神社

さすがにこの参道を、一人で歩く勇気はありませんでした。(^^ゞ

この記事を書いた人

Chikako

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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