前回のお題から、かれこれ1ヶ月。
ちょっと放置しすぎ。💦
だけど、気にならないわけではなかった。
そうは言っても、とにかく、なんにせよ、本というジャンルは、私にとってハードルが高い。
手放せない・・・というより、手放したくないのかもしれない。
これだけ断捨離を実践してきて、なんでかな。
本棚に並ぶ本たちを眺めてみると、だいたい三つのカテゴリーに類別される。
①これはもう読んだ。
・・・でも、また読むかもしれない。
実際、少し時間を置いてまた手に取ることは、何度もある。
②これはまだ読んでいない。
・・・でも、きっといつか読む。
興味を引かれ、読みたいと思ったからこそ、買った本なのだから。
③これは読んだけれど、ブックレビューをまだ書いていない。
・・・でも、きっといつかレビューを書く。
時間が経つと、記憶も曖昧になり、感想も鮮度を失うから、レビューを書く前に、もう一度読み返さないといけない。
どのカテゴリーも、それなりに正当な理由があり、そこに執着が生まれる。
では、ひとつずつ、向き合っていこうか。
まず①のもう読んだ本。
世界には本があふれている。
書店に行くと、その数と種類の多さにいつも圧倒される。
1日1冊読んだとしても、死ぬまでに全部読むことはできない。
何度も同じ本を読み返すのもいいけれど、まだ出会っていない本、知らない物語を探す旅もまたいいのでは?
どうしてもそのエッセンスを自分のものにしたい本や繰り返し味わいたい本だけ、手元に置けばいい。
私の場合は、【嫌われる勇気】や【マカン・マラン】シリーズや【本日はお日柄もよく】など。
それも今の時点の話であり、来年には変わっている可能性はある。
もう一度読みたいかと自問して、時間ができたら・・・とか、その気になったら・・・とか、条件がつくような本には、それほど執着しなくてもいいかもしれない。
そして②のまだ読んでいない本。
いわゆる積ん読本。
買っただけで満足してずっと読んでいないなら、もう読みたいと思ってない・・・と過去には散々説いてきた。
でもどうかな・・・。
本を読むにも時がある。
入手した時と読む時にズレが生じるのは、いけないことか?
今回、本棚を漁っていたら、村上龍の【盾・シールド】が出てきた。
これはいつだろう・・・、まだ子どもたちが小学生の時に求めたのではなかっただろうか。
かれこれ15年以上経っている。
【盾・シールド】は、大人向けの絵本だ。
まあ、小学校高学年くらいから読めるが、盾の意味を理解するには、ある程度の人生経験が必要。
買った時は流し読みしかしていなかった【盾・シールド】を、15年ぶりに手に取り、一気読みした。
いい話だな・・・と思った。
私にとっての盾は、なんだったんだろう・・・と思いを馳せた。
この本が、15年も私の本棚で埃をかぶっていたのは、無駄だったのか?
そうではあるまい。
だが全ての積ん読本が、劇的なリバイバルを果たすわけではない。
これは・・・その人の直感を信じるしかないと思う。
最後に③のもう読んだけれど、レビューを書いていない本。
面白くないから書かなかった・・・というのは、ちょっと違う。
ブックレビューは、手間と時間がかかるのだ。
マインド系の文章のように、すらすらと書けないことが多い。
だから敬遠しがち・・・ってのは、言い訳だけれど。
でも面白い本は紹介したいと思っているので、書くまでは手放せない。
さっさと書けばいいだけなんだけどね。😅
本の断捨離が難しい理由を踏まえて、もう一度、本棚をチェックした。
そして抜き出したのが、単行本29冊、文庫本10冊、新書1冊、漫画1冊。
上記は全部、10年以内に第一刷が発行された本。
本はチャリボンに寄付するつもりなので、その規定として10年未満の本に絞った。
これは町の古本屋さんも同じ。
最初に発行されてから10年以上経過した本は、値段がつかないそうだ。(例外もあるかもしれないが)
愛すべき本たちではあるが、買うだけ買って、手放さなければ、我が家が本の墓場になってしまう。
読んでいる時、私を別世界に連れて行ってくれて、なおかつ悦びと感動を与えてくれてありがとう。
(2017年に記事を書いた時は、お天気の関係で、本の断捨離と処分の間に、外回りのお題が入った)