エックハルト・トールの【ニュー・アース】に出逢ったのは昨年初夏。
学びの友からの紹介だった。
彼女は2008年にこの本を読み、以来バイブルにしていると言う。
いったいどんな本?
330ページもある分厚い本、いったいこの中になにがあるのだろう?
彼女が本の解説をネット配信し始めたので、一緒に読んでみることにした。
難しかった。
翻訳本というのは、だいたい分かりにくい。
英語と日本語には、共通の単語がない言葉もあり、それを一番近いニュアンスで訳すのだから、元々の意味がぼやけたりもする。
だがそのハードルを差し引いても、著者が言わんとしていることが、なかなか掴めない。
だけど私にはすぐ分かった、ここに書いてあることは、人にとってすごくすごく大切なことだと。
そして理解したいと痛切に願った。
分らないものを分るためにはどうするか?
もう読むしかない。何度も何度も何度も繰り返して、分かるまで・・・。
そして私にはもうひとつツールがある。
書いて整理するというツール。
今回、何度目かの読み直しに入ったが、今、理解できている部分だけでも、書き残しておこうと思う。
第1章 私たちはいますぐ 進化しなければならない
導入の第一章は、人間の機能不全について書かれていた。
機能不全・・・、分かりにくい言葉だ。
機能不全とは、ちゃんと機能していないこと。
人として、ちゃんと機能していないとは、それはつまり、う~~ん、私たちはみんな、そのままの状態では、あるべき本来の姿からずれていて、そのことに気づいてすらいないとでも言えばいいのか。
人は本質からずれると、不完全で、偏っていて、まともに機能しない生き物になる。
おまけに自分の思考の枠の中でしか、世界を認識できない。
ほんの一部しか見えていないのに、全てが見えているかのように錯覚してしまう。
著者のトールは、その枠組みを超える時が来ていると説く。
越えるとはどういうことか?
人類がひとつ意識レベルを上げることだ。
大昔から、この機能不全を越える方法を説く先駆者はいた。
キリストやブッダやその他名も無い人々。
だが人類の大多数は、彼らの説く真実を受け入れる準備ができていなかった。
だから異端視して排除したり、抑圧したり、殺してしまったりした。
または彼らの説く真理を、自分の都合のよいようにねじ曲げて解釈した。
自分の正しさが否定されることは、誰にとっても耐えがたい。
でも一度立ち止まって、その正しさがどこから来たのか考えてみるといいかもしれない。
それは本当に貴方自身の中から出てきた正しさなのか。
親や学校や社会に植え付けられ、政府や宗教やマスコミにコントロールされた正しさではないのか。
私が正しいのであれば、意見の違う人はみんな間違っているのか。
私たちは混沌とした矛盾の中であがいている。
でも、今、地球規模で意識が変わらなければならない時期に来ている。
そしてその準備ができている人がたくさんいると、著者は言う。
そうかもしれない。
意識とか霊性とか本質とか魂の望みとか・・・そういうジャンルは、10年くらい前までは怪しい話だった。
だが今、みんなが普通に口にする。
思考や感情を越えた所にまだなにかある・・・と多くの人が薄々気づき始めた証拠ではないか。
【ニュー・アース】を読むことで
【ニュー・アース】は、新しい情報や概念を伝えるために書かれた本ではない。
330ページも費やして、ひたすら”エゴ”について考察する。
だがエゴの理解を深めるのが目的ではない。
読んだ人が気づきを得て意識を変化させること、つまり目覚めることを目指している。
当事者は読者自身。
読者の意識状態が変わらないのであれば、読む意味はない。
では目覚めとは、いったいなにか?
それを正確に表わす言葉は存在しないのでは・・・と私は思うが、古くは悟りとか救済とか苦滅諦とか解放とか呼ばれてきたものが近いのかもしれない。
目覚めとは、自分の機能不全に気づくこと。
自分はなにかということに気づくこと。
キーワードは、”気づき”だ。
新しい天と地とは?
ニュー・アースとは、新しい地球。
このタイトルは、聖書の予言から取っている。
聖書には、新しい天と新しい地の誕生が予言されている。
だがこれは最新テクノロジーで、AIを駆使した超近代的な都市を建設するといった話ではない。
新しい天とは人類の意識の変容、新しい地はその意識が反映された現実世界のこと。
準備のできた人から意識を変化させ始めると、その余波は周囲に及び、次の人の目覚めを引き起こす。
そんな変化が波紋のように広がり、やがて地球全体を覆う。
そこに誕生するのが新しい天と新しい地、つまりニュー・アースなのだ。
コロナ流行の前と後では、私たちの生活がガラッと変わったように、人類としての意識のレベルアップが、もうまったなしで迫っている。
花を美しいと感じる時
「1億1千4百万年前のある朝、一輪の花が咲いた。地球で最初の花だ」
この分厚い本の書き出しは、地球に花が登場したこと。
花はなぜこんなにも美しいのか。
目的が子孫を残すためだけならば、これほどまでに美しくある必要はない。
花が美しさを纏っているのは私たちのためだ。
花を見て、美しいなぁ・・・と感じているその刹那、花は私たちのいる世界と向こうの世界を繋ぐ架け橋となる。
だがそこに言葉が入ってきた途端、架け橋は閉ざされる。
説明や解釈は要らない。
美しさに感動し、心を震わせているその感覚こそが、気づきへと、目覚めへと、私たちを誘う。
つまり【美】とは、向こう側の世界からきた感性。
【美】を通して、私たちはこの3次元世界の向こう側を垣間見る。
花だけではなく、鳥や結晶や鉱石も架け橋となりうる。
確かに聖書には鳩がよく登場するし、私たちはパワーストーンに惹かれる。
目に見える世界だけが実在の世界ではない、・・・そう気がついてしまうと、向こう側のことを知りたいという抑えようのない渇望が生まれる。
今回はここまで
この記事を書き始めたのは、3月の終わり。
まだ第一章だというのに、ちゃんと整理できたと全然納得できていない。
・・・だが、完成形を求めてしまえば、きっと何年もかかりそうなので、今の私の限界はここまでと割り切って、とりあえずアップしよう。
後々、その時々の理解にあわせて、また加筆修正していこうと思う。
↑ニュー・アース第一章座談会・「大衆はバカ」ってどういうこと?