まるちゃんが先導する断捨離ブギウギマラソンに周回(だいぶ)遅れで参加中。
9日目のお題は、シンク周り。
主婦はの朝は忙しい。
まだエンジンがかかっていない体で、家族と自分の朝食を作り、お弁当まで用意する。
本当は薫り高いコーヒー片手に、のんびりと朝陽をながめながら、ゆっくり覚醒したいけれど、とてもそんな時間はない。(早起きできない人なので)
そんな時、がんばれ!と励ましてくれるのが、片付いたキッチンじゃないだろうか。
シンクに前日の洗い物が山盛りだったら、かき集めたやる気も一瞬にして盛り下がる。
キッチンはキッチリしておかないと!
さて今朝の私のキッチンは…。
これは家族が朝食を終え出かてけた直後。
雑然としているが、生活するとはこういうことで、どんなに片づけても、すぐ散らかる。
要はどれだけ早く元に戻せるかではないだろうか。
この状態に戻すのにかかった時間は6分ほど。(花の世話も含む)
まあ、いいんじゃないの?
特に処分するモノは…、ああ、浄水器の蛇口に引っかけてある輪ゴムは要らないかな。
捨てるモノがないので、シンクを磨いてフィニッシュ。
10日目は、来たぜ、食器棚!
食器棚に入っているのは食器だけとは限らない。
あれや、これや、食にまつわるモノもまつわらないモノも、なにかと集まってきて居座る。
割りばしの類はカトラリーの時にやっちゃったし、今日は食器に注力しようかな。
食器は難しい。
我が家には、実家から押し付けられた食器がいっぱいある。
それは食器というよりお道具と呼ぶべき類で、母は自分は使わないけれど、貴女が使いなさい、でも由緒あるモノだから大切にしなさいと言う。
これってある意味、卑怯だよね。
母にとっての不用品なら、持ち主の母自身が責任をもってその処遇を決めるべきなのに、捨てる痛みや罪悪感を、丸ごとそっくり私に肩代わりさせている。
人にモノを譲る時は、「これ、もしよかったら、もらってね。不要だったら、捨ててもいいから」というスタンスじゃないと。
確かに江戸期の古九谷とかもらっても、怖れ多くて普段使いにできないし、ホイホイごみに出すなんて、もっとできない。
終戦後、進駐軍に家ごと接収されそうになって、大八車に積めるだけ積んで持ち出して守った・・・なんて、ご先祖さまの話を聞かされたらなおのこと。
かといって今は空前の骨董不況。売却もままならない。
ずっと悩みの種だった。今も思いきれない。
不要なモノは手放して、身軽になりたい。でも歴史的価値もあるかもしれない。
…まだ悩むのかと暗たんたる気持ちを抱えて、食器棚を閉じる。😢
本日の成果は、グラス3個。食器棚の中身を全部出して、拭き清める。
9日目と10日目、クリア(…かな?)