ユングの説く1次プロセスと2次プロセスという考え方は、本当に理解しにくい。
Buddha Programで個性化の学びを始めて、かれこれ7ヶ月。
この概念は、最初の講義で出てきて、例を交えながらたくさん解説してもらったけれど、はっきり掴めたかと言われると、う~~~んと唸らざるを得ない。
今現在の私の理解
2次プロセスは、1次プロセスの中にあり、人の意識は、両方の間を行ったり来たりしている。
そして2次プロセスとは、頭で理解できない諸々…と、私は理解している。
俗に言う「なんとなく」…ってやつだ。
理由はよくわからないけれど、なんとなくそうした方がいいと思う。
説明はできないけれど、なんとなく違うと思う。
常識を外れているけれど、なんとなく魅かれる。
…そういう言葉で説明できない、心の中から湧いてくる衝動みたいなもの。
それが2次プロセス。
無意識の領域…に近いのかもしれないが、全く同じではない。
頭で理解できないことなのだから、そのものズバリの言葉は存在しないかも…。
対する1次プロセスは、私たちの意識が捉えていること全て。
目に見える現実、日々やってくるあれやこれや、時間という枠の中で向き合う全てのこと。
つまりは普通の日常ということ。
1日24時間、地球という惑星の日本という国で、営む日々の暮らしのこと。
目に見えるし、触れることができるし、頭でしっかり理解できる現実というやつ。
1次プロセスの中で、私たちは頑張って生きている。
でもその頑張りがいっぱいいっぱいになった時、ふとしたきっかけで、ドボンと分からない領域、2次プロセスの中に入る。
そこでエネルギーを充填して、また1次プロセスに浮上してくるのだ。
出たり入ったりを重ねるうちに、やがて2次プロセスへの入り込み方が、徐々に深くなっていく。
そして近づいていく。
2次プロセスの奥深くに隠れている、それぞれの本質へと。
日々の暮らしの中で試される
雲をつかむような話だが、このプロセスは日々の暮らしの中で、誰もが体験している。
よく分からない「なんとなく」の感覚に、気づいていることが、大切らしい。
私の職場では、もう19ヶ月もスタッフが安定しない状態が続いている。
新しい人が入ってきても、定着しないで、辞めていく。
その都度、なにが悪かったのか検証する。
待遇面か、仕事を教える順番かスピードか、シフトか、教育係との相性か、改善できる点は改善し、次に生かそうと全体でのサポート体制を整える。
だが…、今度こそと想いを新たに育成にあたっても、それが実らない。
みんなが注いだ膨大なエネルギーが無になったようで、本当にがっかりするし、虚しくなる。
仕方がない、さあ、次!…と機械的に切り替えられない。
また上手くいかなかった、何が悪かったの、これ以上、何ができるの?…と悶々とする。
ここまでが1次プロセス。
では2次プロセスが介入すると、どうなるか?
がっくりして、力が抜けてしまったのは事実だ。
なんでこんなことになるのか、分からないのも事実。
だけど、分からないことは、分からない、これにもきっと何か意味があるのだろうと、流れに委ねようという気になる。
現実的には、人手が足りず、求人にはいつ応募があるかも分からず、採用してもまた一から育成することを考えると、頭が痛い。
でもこの苦境にも、きっと何が意味があるのだろう…と。
そしてその気持ちを持って、また現実に戻ってくると、苦しいのは事実だけれど、これもプロセスの一部だから…とまた顔を上げて、次の一歩を踏み出せるようになる。
講師の声が出なくなったのも2次プロセス
先月、Buddha Program講師のつうりさんが風邪をひいて、声が出なくなった。
「おはようございま~~す」と息は出ているが、音量はほぼゼロ。
これで1日中、話し続けることは、無理すぎる。
その時、つうりさんは、自分の中の何が、講師が声を失うという、困った現実を引き寄せたんだろう…とは考えなかった。
意味は分からないけれど、これも2次プロセスなんだなぁ…と受け入れた。
そしてその日の予定を大幅に組み替えた。
もっと先でやろうと計画していたワークを前倒ししてやり、何人かいるサポーターに後を任せたのだ。
講師が喋れないなんて…、常識的に考えれば、とてつもない失態だ。
私も講師業をやっていたので、替えのきかない自分が講義できないシチュエーションは絶対に避けたかった。
だがこの日、講師のつうりさんは喉を温存し、サポーターがいつも以上に頑張って、受講生も一緒になって場を創り上げた。
それまで大量の知識を与えられて、消化しきれずアップアップしていた私は、一息ついて、腑に落とす時間の余裕が与えられ、実はありがたかった。
まるでマラソンの給水ポイント。
そして、給水ポイントが必要だったのは、私だけではなかったようだ。
講師が喋れないという、一見アクシデントのようなことが、最適の結果を生んだと感じた。
ユングの2次プロセスは石を積むことだった(^^ゞ
1次プロセスと2次プロセスの考え方を生み出したユングも、意味の分からない衝動に従って行動した。
40歳くらいの頃、それまで指示していたフロイトと袂を分かつことになる。
そこでアイデンティティの破綻を経験したユングは、突然自分の手で家を作り始めた。
どうしてそんなことをしたいのか、自分でも分からなかったらしい。
ただ石を運びたい、積みたい、並べたい、…身体が労働を欲っしていた。
やがて家ができ、塔ができ、彼はそれを見て悟った。
これは東洋のマンダラだ!
そこでユングは夢分析とマンダラ、西洋と東洋の思想を融合させ、独自の心理学にたどり着く。
ユングといえば、心理学の世界では知らない人はいない。
でもその始まりは、2次プロセスに促されて、石を積むことだったのだ。
2次プロセスの概念をどう生かすか
ちゃんと理解しているわけではないけれど、2次プロセスというものがある…くらいには分かった私は、さてこれをどう生かしていけばいいのか。
職場に新しい人が来てくれるのかも、それがいつなのかも、今度こそ定着してくれるのかも、今はすべてが未知数。
だけどこの現実を受け入れようと思う。
そして、なにがあってもオープンでいよう。
なにがあっても、それは全体として動いている何かなんだ…という捉え方をしよう。
なにがあっても、これはプロセスなんだ…と信頼していよう。
今はこんな心境だ。さてまた月曜日が来る。