緑のトンネルの先には、なにがあるのかな~~~。
いや、ここはいつもの散歩道、並木が終われば県道の坂道。
これまで何千回と通ってきた道だから、この先になにがあるのかなんて、百も承知でございます!
だけど、なんだか今日は、違う風に見えたんだよね・・・。
遠くに見えるトンネルの出口が、終着点のような、ゴールのような。
ゴールに着いたら、どんな風景が待っているのか。
その時、私は何を思うのか・・・なんてね。
今歩いてる道が、どこに向かっているのか。
人生のゴールをどこに置いているのか。
なにをするために生まれてきたのか。
そんな比喩的な文脈で、緑のトンネルを眺めていたのかもしれない。
もちろん歩いてきた道は、こんなに真っ直ぐじゃなかった。
先が見えない、真っ暗なトンネル状態だったことも、一度や二度じゃない。
歩くのがイヤになったことだってある。
辛いこと、苦しいこと、思い通りにならないこと、傷つくこと、胃が痛くなること、そんなものでいっぱいの人生に意味などあるのかと、何度も思った。
意味?
はっきり言語化するのは難しい。
でも、そうね、あえて言葉にするなら、その意味・・・って、【経験すること】じゃないのかな。
辛いことも、苦しいことも、思い通りにならないことも、傷つくことも、胃が痛くなることも、生身の人間として実際に経験しなければ、分からないから。
無垢な魂は、経験することを求めているんじゃないのかな。
人は生まれる前に、この人生で何を体験し、何を学び、何を乗り越え、どんな人と交わり、どんな風に生きるかを決めてくるという。
つまり苦痛の多い人生を歩く人は、それを経験したいと、自分で決めてきたのだろう。
経験することによって、知りたい。ただ知りたい・・・。
そう魂が欲していたから。
どんなことでも知らないよりは、知っていたほうがいい。
見識が広がるし、思考のベースが深くなる。
度重なる経験から、どんな洞察を導き出すのか。
それがトンネルの出口に待っている真理なんだろうなぁ・・・。
朝散歩がいきなり哲学の時間になってしまった。😅