フェードル金沢公演 初めての古典演劇

舞台【フェードル】の新聞広告を見た時、大竹しのぶさんの凜とした厳しい表情に、なんか面白そうだと思った。

金沢で観られるのなら・・・と軽い気持ちでチケットを買った。

ところが、covid19の感染状況が悪化し、2度目の緊急事態宣言。

金沢は範囲外ではあったけれど、やっぱり人混みに出かけるのは、緊張する。

しかも当日は、大雪の予報が出て、不要不急の外出は控えるようにとテレビが盛んに呼びかける。

ダブルパンチだな・・・。

ただでさえ、様々な舞台やイベントが自粛に追い込まれ、エンタメ界は青息吐息。

中止なんてことになったら、がっかりする人や困る人がいっぱいいるはず。

とは言え、命がけで行くつもりはなく、雪があまりにもひどかったら、チケットが無駄になってもやむなしと思っていた。

そうしたら、気温は低く、道路は凍っていたが、積雪量はたいしたことがなく、北陸ドライバーならへのかっぱの道路状況だった。

よし、では、行きましょう。

会場の文化ホールは、ほぼ満席。

わあ、みんな、楽しみにしていたんだなぁ。

危機的状況になると、最初に切り捨てられるのがエンタメだが、こういう時こそ、人はエンタメを求めている。

 

楽しみだと口では言いながら、なんの予習もしていなかったワタクシ。

実はフェーデルがフランスの古典戯曲であることすら知らなかった。

幕が上がってものの1分で、すごい違和感を覚えた。

かすかな波の音の後、いきなり俳優が舞台に登場し、長いセリフが始まった。

なんか・・・、なんというか・・・、シェークスピア・・・みたいな?

シェークスピアの戯曲は、セリフが長くて回りくどくて、一言ですむ結論に延々10ページを費やしたりする。(そんなイメージ)

文章として読むのも疲れちゃうものを、実際に俳優さんが動きながら喋る。

しかも動きや感情表現がいちいち大げさ!

肉声で聴き取りにくい部分もあり、ありゃ、これで2時間は辛いかな・・・と思った。

 

物語の舞台は、ギリシャの町トレゼーヌ。

アテネ王のテゼの妻・フェードル(大竹しのぶ)は、夫によく似た義理の息子イッポリット(林遣都)に道ならぬ恋をする。

夫が死んだという偽りの知らせがもたらされ、フェードルは隠していた気持ちを吐露してしまう。

だがイッポリットには、他に好きな人がいて、フェードルを拒む。

そこに夫が帰ってきて・・・。

フェードル

現代なら、「あ~~ん、振られちゃったよ!」とやけ酒飲んで終わるところが、古典はそうはいかない。

好き・・・と言っただけなのに、それは近親相姦となり、振られたことがとてつもない”恥”として、死に直結するほど耐えがたいこととなる。

そこに勘違いや誤解が加わり、誰も幸せにならない結末へと突き進む。

 

最初はその理論展開やメンタリティが、あまりにも非現実的で、ないわ~~と感じたが、場面が進むにつれて、なんだかその世界観に引き込まれていった。

これが舞台の魅力というものだろうか。

あり得ない世界のあり得ないお話に、どんどんのめり込んでいく。

 

私はミュージカルやバレエはたくさん観ているが、古典演劇は初めてだった。

独特のくどい台詞回しも、どんどん馴染んでいって、癖になりそう・・・。

あんなに長くて、たくさんのセリフを覚え、しかも噛まずに言えるなんて!

映画やテレビと違って、舞台は一発勝負。

公演の1回、1回、エネルギーや手応えが、違うのだろうと思う。

その時、その場にいなければ、味わえない。

なんだか新しい世界を垣間見たような気がする。

私の知らないこと、まだまだいっぱいあるな~~と思うと、不思議と嬉しい気持ちになった。

 

舞台挨拶の時、大竹しのぶさんがぴょんぴょんと弾むように走り出てきて、また軽々と走って退場した。

すさまじい迫力でフェードルを演じたばかりなのに、少女のような愛らしさ。

俳優って、すごいなぁと感じた。

 

そして思ったよ、エンタメの火は絶対消しちゃ行けない・・・と。

【フェードル】は、フランスの劇作家、ジャン・ラシーヌがギリシャ悲劇【ヒッポリュトス】を基に創った作品。

国内での初上演は、2017年。

この記事を書いた人

Chikako

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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