こじらせ女子というワードがある。
4~5年前から時々耳にするようになった。
【こじらせる】とは、物事をややこしくするとか、面倒くさくするという意味。
では【こじらせ女子】は?
私の個人的解釈だが、物事をややこしくする人というより、自身の内面がややこしくなっている人を指すように思う。
内面がややこしくなった結果として、現実もややこしくなる場合は多々あるが。
内面がややこしいとは?
自分の言葉がストレートに伝わらず、もどかしい想いをした経験は、誰にもあるだろう。
褒めたつもりが、相手を怒らせてしまったり、ちょとした注意喚起が、人格否定のように捉えられてしまったり。
こじらせた人は(男も女も)、相手の裏を読もうとする。
裏がなくても、無理矢理、裏をこしらえる。
人の好意を素直に受け取れない。
きっと他意や下心があるに違いない・・・と。
人に対してオープンになれない。
人間社会は、基本的に敵だらけだと信じている。
だから硬い鎧に身を包み、自分をしっかり守らなければ・・・と。
つまり、なんだろう・・・、判断基準がことごとくネガティブなのだ。
人はみんな、愛と思いやりではなく、悪意と嫉妬に満ちている・・・みたいな。
こんな信念を持った人と、意思の疎通を図ることは、とても難しい。
愛から発した言葉ですらも、攻撃と受け取られてしまうのだから。
ややこしさの根底にあるもの
これも個人的見解だが、ややこしい人の思考のベースにあるのは、「私は愛されない」という思い込みだと思う。
私には居場所がない。
ここに居ては、迷惑。
みんなが、影で私の悪口を言っている。
この信念があまりにも強くて、どんな言葉も親切も、心まで届かない。
口では「ありがとう」と言いながら、相手の真意を疑っている。
そう、これは自己肯定感の問題だ。
愛されている証拠がほしい
自分は愛されない存在だと心の底で思っている人は、なにかと人を試す。
どこまでなら、許されるのか。
どこまでやったら、相手が怒るのか。
そうやって相手を試した挙句、相手が根を上げると、「ほらね、やっぱり」と妙に納得する。
自分がそう仕向けたというのに。
本当は愛されている証が欲しいのに、わざわざ愛されていないと証明したがる。
確かに、ややこしい。
生まれつき、こじらせてる人はいない
この世に生まれ落ちた瞬間から、こじらせている人はいない。
誰しも無垢な赤ちゃんとして、この世にやってくる。
だが成長の過程で、人生の所々で、きっと人には言えない、辛い経験をいっぱいしてきたのだろう。
その結果、世界は敵だと認識してしまった。
世界や人に対して、心を閉ざしてしまった。
決して心の柔らかい所を見せないよう、厳重に隠す癖がついた。
もうこれ以上、傷つきたくないから。
そうやって、心を分かち合わずに生きている。
だけど、それは楽しいかい?
「どうせ愛されてるし」
斜に構えた態度でも、こじらせた人は、実は自分を肯定していない。
こんな自分はイヤだ、できるなら変わりたい・・・と本当は思っている。
本心では、もっと人と関わって、楽しそうな人たちの輪に入りたい。
だけど、あまりにも長く、鎧を身につけて生きてきたから、どうやって一歩踏み出したらいいのか分からない。
そんな時、いい言葉があるよ。
心屋仁之助さんが、ずっと提唱している魔法の言葉だ。
「どうせ愛されてるし。」
誰かが優しさを投げかけてくれた時、疑う前に、「どうせ愛されてるし。」とつぶやいてみてほしい。
賑やかな人の輪に気後れして、そっと離れようとした時、「どうせ愛されてるし。」と留まってみてほしい。
どうせ私なんか・・・という想いが頭をかすめた時、「どうせ愛されてるし。」に脳内変換してみてほしい。
その小さな小さな一歩が、きっと何かを変えるから。
愛の証明は、相手を試して得るものではない。
まず自分からハートを開かない限り、どれだけ待っていても流れ込んではこない。
どうせ愛されてるし!
ここに居てもいいし!
世界は敵だらけじゃないし!
大丈夫、誰だってこじらせ女子を卒業できる。