人間関係って難しいなーーーーー。
そう思う場面は、これまでにたくさんあった。
コトの発端は、些細な取るに足りないことだったりする。
それなのに、なぜこんなにもこじれるのか…。
それは人間に感情があるからだと思う。
理性の部分だけで考えれば、なんだこんなこと…なのに、感情が介在した途端、世紀の大問題に発展してしまう。
感情があるから人間なんだけれど、感情は厄介だ。
20代の若い子の話を聞く機会があった。
職場の人間関係で悩んでいる…と。
上司があんなに厳しいのは、たぶん私が嫌われているから…と涙をこぼす。
う~~ん、嫌われているわけではないと思うけどな。
学校じゃなくて、職場なんだし。
上司とは年代も違うし、仕事に対する考え方も違うのだろう。
私たちの若い頃は、仕事で辛いことがあっても、すぐ辞職を考えることはなかった。
終身雇用が浸透した世の中で、それは最後の最後の切り札だった。
裏で泣きながらも、くらいついていた。
…だから体や心を壊すまで働いたり、過労死まで発生する。(今でもあることは重々承知)
だが今の若い人たちにとって、転職はもっと軽くて身近なことだ。
嫌なことがあったら、我慢しないで次にいけばいい…と考えるようだ。
ネットの転職サイトがあれだけ盛況なのは、その意識の表れだろう。
どっちがいいとか悪いとかを、論じたいのではない。
みんなが同じでなくていい。
働き方の自由はあっていい。
職場に心地よさを求めてもいい。
だけどもったいないと思うわけよ。
トラブルを外から眺めてみると、相手を傷つけてやろうとか、貶めてやろうとか、そんな悪意がない場合が多い。
単なるコミュニケーションの齟齬だったり、誤解だったり、勘違いだったり。
それなのに、感情があおるから、最初はなかった『悪意』が醸造されてしまう。
人はどうしてシンプルに分かり合えないのだろう…。
言葉を使ってコミュニケーションする限り、相手のことを100%理解することは無理なのか。
将来、人類が進化して、テレパシーのような能力を使えるようになったら、こんな行き違いはなくなるのか。
くだんの上司に悪意はないと、私は見る。
だが上司は、自分が育成された時のやり方しか知らない。
ゆとり世代がやってきて、自分たちとの感覚の違いに戸惑っているのが、容易に想像できる。
自分たちがそうされたように、厳しく育成すれば、叱られ慣れていない相手は去っていく。
うまく育てていきたいけれど、具体的な方法が分からず、暗中模索…ってところだと思う。
お互いの頭の中が可視化できれば、いいのになぁ。
〇〇だろう、▽▽と思っているだろう、◇◇なのかな…。
全部、相手に確かめていない、自分サイドの認識だ。
そのままの想いが、そのまま伝わればいいのに…。