朝ドラにはまる方ではないのだけれど、カムカムエブリバディは録画して欠かさず観ている。
3代にわたるストーリーにたくさんの伏線が忍ばせてあり、最終回を目前に怒濤の回収劇となっている。
あ!あの時のアレ!…その種明かしが楽しい。
ドラマを骨太にしているのは、秀逸なキャスティングと俳優たちの光る演技。
でも私が惹かれるのは劇中のセリフ。
はっとするようなセリフが、さりげなく差し挟まれている。
こういうのを考えるのは脚本家かな?
ラストまであと3回の昨日、たった15分の短いドラマに、胸に刺さるセリフがふたつもあった。
虚無蔵の一発
NHKからラジオ英会話の講師を打診されたひなた(川栄季奈)は、そんな大役が自分にできるのかどうか悩んでいた。
そんな時、映画村で再会した虚無蔵(松重豊)の座右の銘にしてもいいようなセリフがこれ。
おひな、そなたが鍛錬し培い、身につけたものはそなたのもの。
一生の宝となるもの。
されどその宝は、わかち与えるほどに輝きが増すものと心得よ
時代劇がかった話し方に注意がいきがちだが、このセリフの言わんとすることは、本当に大切なことだと思う。
どんな技術も才覚も、自分のためだけに使うのであれば、それはそれだけのもの。
だが誰かのために使ったり、シェアしたりすることで、自分が習得した宝は何倍にも大きくなる。
それは分け与えられた相手のみではなく、結局自分の喜びやしあわせに繋がっていく。
ひとつの種がひとつで終わるのではなく、分かち合うことで、さらに豊かな実りとなる。
インプットだけじゃ片手落ち。
出し惜しみせずにアウトプットせよと、現代の武士は説く。
一子の一発
ステージを前に母の真実を知り、動揺するるい(深津絵里)を、親友一子(市川実日子)が訪ねてくる。
お母さんに届けるために歌うつもりだったが、母がもう私に会うつもりはないと心に決めているのなら、歌う意味なんてあるんだろうか。
心情を吐露するるいに、茶道教師である一子は静かにお茶を点てる。
茶碗を差し出しながらのセリフ。
私にもわからんわ、そのお茶に意味があるのかどうか。
でもな意味があんのかないんか、わからんことをやる。
誰かのことを思うてやる。それだけで、ええんとちゃう?
これもえぐる。
こんなことして、何の意味があるんだろう…と思うことは、日常にいっぱいある。
私がこんなことをして、誰の役に立つの?
誰にも届いていないんじゃないの?
全て自己満足なんじゃないの?
私がここに存在すること自体、なんか意味があるの?
…でも意味なんか、分からなくてもいいと一子は言う。
以前一子は、心がざわざわしている人に対して、「まあ、そこに座り」と一服のお茶を点てた。
お茶を飲んだ相手は、ほっと一息ついた。
たったそれだけのこと。
意味があるかないかを問うこと自体、意味がないのかもしれない。(禅問答?)
無意味に思えることであっても、誰かのことを思って、あえてやる…。
意味はきっと後からついてくる。
めっちゃ励まされるなぁ。
さっ、今日の録画、観てこようっと