読み終わってしまうのが惜しくて、わざとゆっくり読む本がある。
マカン・マランもそんな本。
全部で4冊あり、計16話が収められているが、次がなくなるのが切なくて、1話1話、間を空けながら読んでいる。
マカン・マランとは?
最近急行が止まるようになった新線の駅。
急速に開発が進む南口はモダンでお洒落な街だが、北口は昔ながらの商店街が残る。
その商店街のはずれ、人が一人やっと通れるような細い路地を入った奥に、ひっそりと佇むマカン・マラン。
昼間はダンス用品専門店だが、夜は夜食を提供するカフェになる。
だが人々はマカン・マランになかなか近づこうとしない。
なぜなら…、マカン・マランのオーナーは、身長180センチ、筋骨隆々の体躯にドレスをまとい、ピンクボブのかつらをかぶったおかま…じゃなかった、ドラァグクイーンのシャールだから。
社会的偏見とその一見異様な風貌に恐れをなして、かかわりを避ける人がほとんどだが、一度シャールの懐に飛び込むと、その温かさや含蓄のある言葉に、誰もが鎧を脱ぐ。
そしてどこにも吐き出せなかった苦しい想いを、ポロリと吐露しちゃったりするのだ。
そしてシャールの作る夜食が、体の内側からその人を温めて癒す。
マカン・マランは、傷つき疲れた人々が、最後にたどり着き、安心して素顔になれる、居心地のよい繭のような場所なのだ。
VOL.2 マカン・マランふたたび
物語はVol.1で入院したシャールが、マカン・マランに戻ってくるところから始まる。
主がいない間に、大切な場所を守っていたのは妹分のジャダ。
口が悪くて、けんかっ早いが、根はいいヤツだ。
シャールの帰還を待ちわびていた常連客が、ジャダの呼びかけに応えて集まり、シャールを迎える。
本書には4つのエピソードが収録されている。
最初のエピソードが2月に始まり、最後は冬至で締めくくる。
季節の移り変わりとともに、4人の登場人物の気づきや成長が描かれている。
第1話 蒸しケーキのトライフル
西村真奈はもうすぐ27歳。丸の内に勤めるOLだ。
だが、正社員ではなく派遣。
颯爽とガラスのビルに吸い込まれていく正社員を横目に、地下のオフィスで1日黙々と入力作業をする。
派遣社員にはボス的存在がいて、唯一の正社員の課長でさえも、一目置いている。
真奈はそのボスに嫌われないよう、目を付けられないよう、精いっぱい”いい人”を演じている。
ボスのファッションを真似、相槌をうち、ランチに同行する。
…自分には芯がないと真奈は思う。
そんな時、同期が結婚で仕事を辞めることになった。
自分よりトロい同期がいなくなったら、今度は自分が攻撃対象になるのではないか…とおびえる真奈。
ある日、真奈はマカン・マランに迷い込み、行きがかり上、ジャダの料理を手伝うことになる。
トライフルはイギリスの家庭料理。
元々は失敗したり古くなったスポンジケーキを美味しく食べるために考案されたらしい。
スポンジをジュースやシェリー酒に浸して作る、とても優しい味のデザートだ。
「自分のことを、”ただの”とか”つまらない”とか言っては駄目。
それはあなたが支えている人や、あなたを支えてくれている人たちに対して、失礼よ」
第2話 梅雨の晴れ間の竜田揚げ
藤森裕紀は28歳。東京で漫画家のアシスタントをしながら、デビューを夢見ている。
裕紀には年の離れた兄がいる。
優秀で、親の期待を一身に背負っていた兄は、大学卒業後、実家の老舗旅館を継いだ。
母親である女将と一緒に、次々と新しい戦略を打ち出して、旅館を盛り立てていた。
兄がいるから、裕紀は東京で気ままに生きることができた。
だが、その兄が、急死した。
そして裕紀は実家に戻り、旅館を継ぐように要請される。
漫画家への夢を諦めろと?
旅館業のことなど、何もわからない。…というか、全く興味が持てない。
それに女将業に忙しい母にないがしろにされ、寂しい子供時代を送ったことがわだかまりとなっている。
そんな裕紀の住むボロアパートの窓から見える、カンテラの灯り。
それはマカン・マランの営業中の合図なのだが、ある土砂降りの夜、雷に追われるように、裕紀はシャールの元に転がりこむ。
シャールが裕紀に作ってくれた竜田揚げ、実は鶏肉ではなかった。
でも味も食感も鶏肉そのもの。これは一体何なのか?
「あなただって、そうよ。決してお兄さんのただの代わりではないはずよ。」
第3話 秋の夜長のトルコライス
伊吹未央は30代、一児の母。新築のタワーマンションに引っ越してきた。
未央の気がかりは、1年生になったばかりの圭。
圭は少しばかり、人とは違う。
その違うことを未央は認められず、躍起になって矯正しようと努力に努力を重ねている。
子どもの脳の発達によい食品だけを、毎日食べさせるのは並大抵の苦労ではない。
小麦も牛乳も砂糖も肉類の脂もNG。
ハンバーグはイワシをミンチにして作る。
夫は毎朝、ベーコンエッグとパンだが、圭のためには鰹節と昆布で出汁をとった味噌汁の和食を用意する。
未央はこの二度手間を惜しんだことはない。圭のためだから。
それなのに…、圭は授業中にふざけて歌ったり、立ち歩いたり…と、ちっとも成長しない。
こんなに頑張っているのに、どうして?
文中では、あえてソレとぼやかしていて、「発達障害」という言葉は出てこない。
子どもが発達障害であると知ること、そしてその事実を受け入れることは、母親にとって、どれだけ怖いことだろうか。
未央の焦りといら立ちは募る。
「圭がソレだったら困るのは圭じゃなくて、未央なんじゃないか?」
夫の言葉は痛いところを突いていた。
トルコライスとは長崎発祥のご当地グルメ。ピラフとスパゲッティとトンカツのワンプレートだ。
しかもシャールが出したトルコライスのピラフとスパゲッティは、スーパーで買ったお惣菜。
普段の未央の食卓からは考えられない、NGのオンパレードだった。
トルコライスはまるで大人のお子様ランチだ。
「たまにはさぼりなさい。本当のサボタージュっていうのはね、ある意味、頑張っている人の特権なのよ。」
第4話 冬至の七種(ななくさ)うどん
メタボの中年オヤジ、柳田敏は中学校の教員だ。教頭試験に受かり、ゆくゆくは副校長にという声もある。
柳田の目下の悩みは、一人娘の真紀のこと。
高2の冬という時期になって、突然、理転したいと言い出したのだ。
理転とは、1年半ばで選んだ文系志望のコースを理系に変更すること。
一般的に文転は可能だが、理転はひじょうに難しいと言われている。
しかも真紀の理転の動機は、ハワイで出会った日系のイルカ研究者にのぼせてしまったこと。
自分も研究者になるために、海洋学部に行きたい…とほざく。
教育者である柳田は、そんな理由での理転など、認めることはできない。
そもそも娘のイルカ熱が、本気かどうかも疑わしい。
柳田が強硬に反対したため、真紀は口をきかなくなった。
妻の孝子は中立を保つ。
実は柳田とシャールは中学の同級生だ。
同じ制服を着ていた二人が、50代になって一人は無難に教員の道を歩き、もう一人はドレスをまとっている。
シャールの父親は、息子のLGBTが受け入れられない。
そんな道をゆく息子が幸せになれるはずがない…と思っているからであり、柳田が真紀の理転に反対するのと根本的には同じだ。
子の幸せを願えばこそ。
うまくいかない柳田の親子関係が、シャールの親子関係と絶妙にかぶってくる。
そういえばVol.2に登場する4人は、なにかしら親子関係にねじれを抱えている。
「親子って難しいのよ。一番近くにいる他人ですもの。」
冬至のななくさは、春の七草とは違い、七種と書く。
人参、レンコン、銀杏、カンテン、キンカン、南瓜、そしてウドン。
冬至は一陽来復、陰極まりて、陽に帰る日。
一度終わり切ったものが、再生する日だ。
シャールとジャダと柳田、冬至の日に七種のうどんをすする、新たなる芽吹きを願いながら…。
廊下の突き当たり、間接照明に照らされた海の底のような空間、マカン・マランの夜は更けていく。
CHIKAKOの感想
なんて素敵な小説だろう。
料理を題材にした小説は他にもあるが、こんなにもお腹と心、両方に染み入ってくる物語は多くない。
なによりトランスジェンダーであるがゆえに、人一倍苦い想いを味わってきたであろうシャールの優しさと懐の深さが、心をとらえる。
誰もが分かってもらいたいのに、分かってもらえない哀しみを抱えている。
シャールとて、すべての人の気持ちを100%理解できるわけではないだろう。
でも彼…(彼女か?)は、相手をそのまま受け入れようとする。
相手が泣いていても、怒っていても、攻撃的であっても、悲嘆にくれていても。
小さな圭に「嫌なことがあったら、お話してね」と告げたように。
殺伐とした現代を生きる私たちには、みんな、こんな海のような人、こんな港のような場所が必要なのだと思う。