義理の母は98歳。
いろいろなことを忘れてしまい、今は老人ホームで暮らしている。
食べて、寝て、お遊戯して、ケラケラ笑っている。
悩み事もなく、幸せそうだ。
あ…、でも、時々、長生きしすぎて、迷惑をかけていると口にする。
何をするにも人の手を借りなければならないが、だからといって、その人の存在価値がなくなるわけではない。
私は童女のような義母に会うと、ほっこりと優しい気持ちになる。
つまり癒やされちゃうのだ。
98歳の現役ヒーラーだよ、ばあちゃん。
義母に初めて会ったのは、29年前。
未来の嫁として、夫の実家を訪問した時。
私は白い襟がヒラヒラした、山吹色のお嬢ワンピースを着て、ガチガチに緊張していた。
はじめましてのご挨拶もそこそこに、ちゃぶ台の上にドン!…と置かれたのは、真っ赤に熟れたスイカだった。
義父母が育てた自慢のスイカは、でっかい半月形に切られていた。
(このくらい大きかった!)
…この状況で、これにかぶりつけと?
固まってしまった私に、「スプーンをあげるね」と義姉が気を遣ってくれたのに、「スイカはかぶりつくのが、旨い!」と義母が言い放った。
横目で夫を見ると、すでに大口開けて、スイカに顔を埋めている。
どうする、私?
これは試験なのかも…。
この家に受け入れてもらうための試験。
上品に…なんて、言ってられない。
覚悟を決め、ヒラヒラの襟を気にしながらも、私はスイカにかじりついた。
一気に完食して、「美味しい!」
かくて私は嫁として認められたのだった。(←マジか?)
(せめてこんな風に切ってくれたら…)
あれから29年。
何もなかったとは言わないが、総じて悪い思い出はない。
義母は田舎の人なので、プライバシーには無頓着だったが、基本的に善人で、優しい人だった。
意地悪されたり、嫁いびりされたことはなかった。
…どちらかというと、気の強い嫁に気を遣っていたかもしれない。(^^ゞ
息子が4歳くらいの時、保育園でトビヒが流行った。
4歳児が接触を避けられるはずもなく、息子もトビヒになった。
トビヒは患部を覆っておかなければ、体液が散って、どんどん広がる。
真夏だったのに、膝も手もほっぺも包帯や絆創膏だらけで、なんとも痛々しい。
そんな時、義母から夫に手紙が届いた。家ではなく、職場に。
手紙には新聞の切り抜きが入っていて、トビヒは精神的ストレスが原因の場合もあると書いてあった。
包帯だらけのビジュアルもあって、義母は、私が息子を折檻しているのではないか…と疑ったのだ。
手紙を読んだ夫が実家に行き、朝晩、20分以上かけて、私が丁寧に患部の処置をしていることを伝えた。
義母はすぐに謝ってくれたが、でももしかしたら、義母の勘は半分当たっていたのかもしれない。
折檻こそしていないが、当時、不機嫌マックスだった私は、子どもにとっては怖い母親だったと思う。
孫思いのおばあちゃんは、そのことを指摘したかったのではないだろうか。
義母に責められたのは、後にも先にもこの1件だけと記憶している。
そんな義母も、いまや自分が子どもに返り、見舞いに行った私と無邪気にお遊戯をする。
せっせっせ~~~の、よいよいよい!
茶摘みの手遊びをしている時、義母が言った。
「Chikakoさんは、○○(夫)の奥さん~~。いい奥さんだね~~~。」
でかいスイカをペロリとたいらげた日から、29年を経て、こんな勲章みたいな言葉をもらえるとは!
ただただしみじみ感動する。
姑からいい嫁認定されるなんて、最高の栄誉だな…と夫。
いや、それ違うし。
本当は君が言うべきセリフを、代わりに言ってくれたんだよ。
親は、いくつになっても親なんだな…。