生きるぼくら・原田マハ著 大地に足をつけ、米を作り、米を食べる

麻生人生は24歳。引きこもり歴は4年になる。

いじめを機に高校を中退したが、職場でもうまくいかず、全てを投げ出してしまった。

昼夜逆転、一人で働く母ちゃんに寄りかかり、携帯の中にのみ、自分の居場所を求める。

自分がこんなことになったのは、全て他人のせい。

だから母ちゃんは、俺の面倒をみてしかるべき。

ところがある日、人生の大嫌いな梅干し入りのお握りと5万円を残し、母ちゃんは姿を消した。

 

元気なし、やる気なし、覇気なし。

これが主人公である。

うっわ、お友達になりたくないわーーーな麻生人生を、原田マハさんはどう料理するのだろうか。

原田マハさんの小説は、美術の話もビジネス成長ストーリーも短編も、全部好き。

さて、生きるぼくらはどう展開する?

生きるぼくら

生きるぼくらのあらすじ

母が置いていった年賀状を頼りに、人生は一人電車に乗って、蓼科へ向かう。

蓼科には、父方の祖母がいる。

父母が離婚してから、訪ねることもなくなってしまったが、少年時代、人生が大好きだった場所だ。

八ヶ岳を望む山間、四季折々の自然に抱かれたばあちゃんの家。

ここにさえ行けば、なんとなるはず。

だが、ぽつんと一軒家を訪ねてみると、頼りにしていたばあちゃんは、「どちらさま?」と言う。

そう、認知症が始まっていた。

そしてばあちゃんの傍らには、見知らぬオカッパの女の子。

聞けば、父の再婚相手の連れ子だという。

つまり血の繋がりはないが、ばあちゃんの孫で、人生の妹。

そしてここで初めて、人生は父の死を知る。

その死が、ばあちゃんの認知症の引き金になったことも。

行く当てのない人生と、人生を覚えていないばあちゃんと、初対面の妹・つぼみの奇妙な3人暮らしが始まる。

ばあちゃんの年金で暮らす訳にもいかないので、人生は地元の清掃会社で働き始める。

今まで学校も仕事も続かなかった。

でもここには、人生の丁寧な清掃を褒めてくれる人や、応援してくれる人がいた。

認めてもらえるとは、なんて嬉しいことなんだろう…。

蓼科の人々の温かさに、人生は次第に心を開いていく。

働くこと、信じること、守ることを通して、生きることの意味を知る、これは人生の成長物語だ。

もうひとつのテーマは米作り

ばあちゃんがカマドで炊くご飯は美味しい。

コンビニのお握りばかり食べていた人生は、その違いに驚く。

お握り

聞けば、この米は、ばあちゃんが自分で作ったのだという。

それも機械や農薬を一切使わない、昔ながらの農法で作った米。

人生とつぼみは、ばあちゃんに米作りを教えてほしいと頼む。

二人とも、ばあちゃんが大好きなのだ。

ばあちゃんが打ち込んでいた米作りを再現できれば、ばあちゃんの記憶も戻ってくるのではないか…と淡い期待を抱きつつ、初めての米作りに挑む。

昔ながらの米作りが、籾を選定するところから、順を追って描かれる。

ばあちゃんのためなら…と、手伝ってくれる近隣の人たち。

一粒の籾から1000粒のお米がとれるのよ…と、ばあちゃんは言う。

お米の力を信じなさい。

…それはとりもなおさず、自分のことのように聞こえる。

人間の力を信じなさい。人生、貴方の中の伸びる力、生きる力を信じなさい…と。

稲の成長を見ながら、自分自身も成長していく人生。

村の人たちに助けられ、清掃と米作りの二足のわらじを履き、夏の炎天下、黙々と働きながら、やがて人生には、ばあちゃんとつぼみを守りたいという気持ちが芽生える。

米の生命力を信じ、手間暇かけて世話をして、豊かな実りを感謝して受け取る。

その悦びを、みんなで分かち合う。

現代の日本人が忘れてしまった、大切ななにかがそこにある。

神秘的な御射鹿池の風景

作中に東山魁夷の「緑響く」が登場する。

これは1982年、蓼科の御射鹿池をテーマに描かれた絵だ。

シャープのAQUOSのCMで使われたので、知っている人も多いと思う。

東山魁夷

御射鹿池は、奥蓼科温泉郷に通じる「湯みち街道」沿いにある、農業用のため池だ。

池は酸性が強く、生き物は棲めない。

魚もいないので、静寂そのもの。

湖底に繁茂するコケが池を青緑色に染め、そこに周囲の森が映り込む。

なんとも幻想的な風景だ。

この場所が、ばあちゃんが一番好きな場所、人生に見せたかった場所。

ばあちゃんが好きだった「緑響く」は、長年、ばあちゃんの心の支えだった。

多くの人が知る絵が、とても効果的に使われている。

 

私に「緑響く」を教えてくれたのは、母だった。

すごく素敵な日本画があるのよ…。

透き通るような緑が美しいでしょ?…と。

東山魁夷の名も、その時知った。

「緑響く」は、長野県信濃美術館所蔵。

Chikakoの感想

農業はダサい…。

丸の内に聳えるガラスのビルで、バリッとしたスーツを着て、何億もの大金を動かすような仕事のほうが、価値がある。

途中から、嫌々米作りに参加する純平の価値観だ。

でも多かれ少なかれ、現代人はみんな、そんなことを思っているんじゃないだろうか。

今時、汗水垂らして、泥まみれになって働くなんて、はやらない。

洗練された都市に住み、お洒落な格好をして、流行のスポットに精通し、PCを通して働き、いっぱい稼ぐ。

確かにそんな価値観に踊らされた時代が続いた。

だが私たちは自分の食べる物を自分で作る…といった、基本的な生き方を、どこかに置き忘れてきた。

食糧自給率の低下、電力への依存、大量生産・大量消費…。

きれい事は言わない。

私には、米作りは無理。

ただ、大地とともに生きる、地球の一部として生きる、籾の力を信じて生きる…、太古の昔から、私たちはそうやって生きてきたと思い出す時間も、必要なんじゃないか…と、訴えかけてくるのが、原田マハさんの生きる力。

生きるとは、食べるとは、人間とは、どういうことか、今一度考える、そんな時間。

生きるぼくら

この記事を書いた人

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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