内舘牧子さんの高齢者にスポットを当てた作品が、とても面白い。
間もなく90歳になろうかという母も大好きで、母娘で読んで感想を語り合っている。
【今度生まれたら】のあらすじ
佐川夏江は70歳になった。
たった1歳の違いなのに、69歳と70歳では全然違う。
人生100年時代、70歳になって、これからの生き方を思う時、夏江は途方にくれる。
夏江が若かりし頃、男女の役割は定型化していて、男は仕事、女は家庭と刷り込まれていた。
エリートと結婚するのが女の最大のしあわせ・・・と信じて疑わない時代。
高校生の夏江は成績がよく、園芸の技術も秀でていたので、教師は千葉大園芸科の受験を奨める。
母親もこれからは女性も経済力をつけるべき・・・と千葉大を推すが、結婚に有利だという理由だけで、夏江はお嬢様御用達の短大を受ける。
その後就職した一流企業で、エリートの誉れ高き和幸に狙いを定め、見事撃ち落とす。
順調に出世街道を爆走していた和幸だったが、シンガポール支社長の椅子を目の前にして、酒で失敗。
あっという間に窓際族に。
会社に居づらくなり早期退職した後は、ポツポツ翻訳を請け負う傍ら、自治体主催の歩こう会でハイキング三昧。
やがては会長にまでなって、初心者クラスの指導に熱を注いでいる。
一方、夏江にはなにもない。
二人の息子を育てあげたが、ずっと専業主婦できて、仕事というものを知らない。
世間は高齢者に、趣味を持てとか、ボランティアをしろとか言うが、夏江が欲しいのは暇つぶしではない。
生きがいになる、打ち込める何かなのだ。
ある日、テレビの画面に、懐かしい顔が映る。
会社員時代に振った小野だった。
小野は性格も良く夏江に好意を持っていたが、いかんせん高卒。
会社での出世の芽は無い。
なんの迷いもなく和幸を選んだが、今、小野は世界的な造園家として大成している。
桜の専門家の妻も、あちこちで引っ張りだこだ。
愕然とする夏江。
小野にも妻にも、これまで積み上げてきたものがあり、70歳になっても社会から求められている。
一方、自分はどうだ?
現地法人社長の妻として華々しい人生を歩むはずだったのに、立場が逆転してしまった。
しかも自慢の息子たちも、長男は離婚の危機にあり、次男は会社を辞めてスペインでギター作りの修行を始めると言う。
夏江の焦りは頂点に達する。
内館牧子さんの高齢者を見る視点
あの時代を覚えている。
女性の人生はクリスマスケーキに例えられ、25歳までに結婚しないと”売れ残り”と呼ばれた。
だからみんな”売れ残る”前に、必死で結婚しようと頑張っていた。
バブルの時代。
若さだけが女性の価値・・・とでも言うように。
だけど今から思えばよ~~~く分かるが、25歳なんてまだまだ子どもで、自分の価値観もどんな生き方をしたいのかも、はっきり分かっていない人が多かった。
ただ目の前に結婚のデッドラインをぶら下げられて、よく考える余裕もなく、突っ走っていたように思う。
そして判で押したように、結婚相手はエリートがいいとされた。
そう、3高という言葉が全てを物語る。
その人がどんな人か、どんな人生を望んでいるのか、二人でどんな関係を紡いでいけるのか、そんなことよりも、とにかく3高!
みんながステレオタイプに踊らされていた。
そんな時代を経てきた夏江は、70歳になってはたと気づく。
自分が何を失い、何を手放してしまったのか。
そしてその結果も。
我が身を振り返ってみれば、年齢相応に体力は衰え、確実にできないことが増えている。
今日が一番若い日・・・なんて言われても、若い時とは違うのだ。
もう取り返しはつかないのか。やり直すことはできないのか。
あの時代を生きた人たちが高齢者になって、きっと抱えているであろう焦燥感を、内館牧子さんは見事にあぶり出している。
Chikakoの感想
身につまされる。
身近に高齢の母を見ていて、生きがいがどれほど大切かがよく分かる。
誰かに必要とされたり、誰かの役に立っていると感じたり、わずかなりとも社会に貢献したりすることは、若い人だけでなく高齢者にとっても、大事なことなのだ。
私はまだ夏江の域には達していないが、多少なりとも体力・気力の衰えは感じる。
肩書はない、専門職でもない、ただ文章を書くこととバラの写真を撮ることが好き、そんな私が夏江と同じ年齢になった時、果たしてなにを思うのか。
自分の歩んできた日々を肯定するのか、後悔するのか。
今でも薄っすらと感じている老いへの不安や焦りみたいなものが、言語化されてばーーーんと目の前に提示される。
まだまだと思っているけれど、70歳なんて案外、あっという間に来ちゃうのかもしれない。
その時、できることは減っているかもしれないが、毎日が楽しいね、毎日が幸せだねと笑っていられたらいいなぁと思う。
最後の一文、パンチが効いたオチで好き。💕