【老害の人】内館牧子著 高齢者の居場所とは?

脚本家であり、小説家でもある内館牧子さんは、【終わった人】や【すぐ死ぬんだから】など、高齢者を主人公にした小説を立て続けに発表している。

私の母がこの高齢者シリーズをいたく気にいって、次作を首を長くして待っている。

10月に発売された【老害の人】。

ちょっとこのタイトル、なんとかならなかったのかしら。

いくらファンだからといって、自身も高齢者の母に渡してもいいものだろうか…と、とりあえず、私が先に読んでみることにした。

【老害の人】のあらすじ

戸山福太郎は85歳。

双六やかるたの製造販売会社・雀躍堂の社長を娘婿に譲ってからも、時々会社に出勤し、社員たちが迷惑がっているのもお構いなしに、過去の手柄話や訓示を長々と垂れ流す。

自宅には、下手な俳句に下手な絵の句集を配る吉田夫妻や、「死にたい」が口癖の春子や、だれかれ構わずクレームをつけるサキなど、老害を絵に描いたような面々が入りびたる。

同居する娘の明子と弱気な現社長の純一は、いつも振り回されている。

高校3年生の長男・俊は、大学には行かず、雀躍堂も継がず、農業をすると言い出す始末。

明子の友人の里枝は、口を開けば孫自慢ばかり。

滅入る明子とは裏腹に、老人たちは元気だ。

度重なる緊急事態宣言を耐え忍び、なんと老人向けゲームサロンをオープンさせてしまうのだ。

その名も”若鮎サロン”。

スタッフは自分たちを若鮎さんと呼び、揃いのピンクのTシャツを着て張り切る。

周囲は老人を邪魔にして、自分磨きをせよとか、趣味に生きよとか言う。

だけど当の高齢者が求めているのは、暇つぶしではない。

欲しいのは趣味ではなく、生きがいなのだ。

誰かに必要とされている、社会でまだ役に立っているという実感。

「俺たち老人は、老人のために頑張ろう!」

福太郎たちは気勢を上げる。

高齢者の居場所とは

誰にとっても居場所は大切だ。

だが高齢になると、その居場所がどんどん狭く小さくなる。

気力も体力も徐々に衰えて、今まで普通にできていたことが、誰かの手を借りないとできなくなる。

それを日本社会は「迷惑」と呼ぶ。

「ありがとう」よりも「すみません」が幅をきかせる社会では、人にサポートしてもらうことは申し訳ないことで、負い目を感じざるをえない。

元気で、学んで、働いて、貢献できるだけが人の価値ではない…と、みんな頭ではわかっている。

だから口には出さない。

だけど若い世代は感じるよね、何回、同じ話をするんだとか、若い頃の武勇伝なんて興味ないとか、なんで身の回りのことぐらい、自分できないのかとか。

そして高齢世代も、自分がその場に歓迎されていないことぐらい、肌で感じている。

これまで一生懸命働いて、子どもを育て、社会に貢献してきた人たちが老いた時、どんな生き方ができれば、幸せなんだろう。

いい人生だった…と思えるんだろう。

デイサービスや病院やホーム以外に、高齢者の居場所はどこにあるのだろうか。

Chikakoの感想

内館牧子さんの小説は、ストーリー展開が軽快で、セリフが面白い。

そして登場人物のキャラが立っている。

こんな人、身近にいたら大変だろうなぁ…という人物でも、小説の中なら、とても愉快だ。

残り少ない時間を意識しながら、若鮎さんこと福太郎と仲間たちは、ジェットコースターのような気分の浮き沈みを乗り越え、自分たちの居場所を自分たちで創り出していく。

なかなか気概のある老人たちだ。

誰にもでも老いは訪れる。

日常生活の諸々が満足にできなくなることは、どれほど自尊心を傷つけるだろうかと、我が母を見ていて思う。

でもそれが人間という生物がたどる道。仕方がないのだ。諦めて、受け入れるしかないのだ。

やがては私も行く道。

その時、やっぱり最後の瞬間まで、生きている実感、少しでも誰かに貢献できる何かが欲しいだろうと思う。

かつて心理学の師匠が、人は自分が役立たずだと思えば、全力でその場から逃げ出すが、誰かの役に立てると思えば、お金を払ってでもそこに行く…と説いた。

本当にそう。人って、どんなに微力でも、役に立ちたい生き物なのだ。

年をとっても、きっとそれは変わらない。

 

この本、…老害という言葉に引っかかりはあるけれど、母もきっと得るものがあると思う。渡してみよう。

内館牧子著【すぐ死ぬんだから】のブックレポート

 

この記事を書いた人

Chikako

金沢市在住。バラとコーヒーとコーギーが好き。
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