どうしてこの本を手に取ったのか、よく分からない。
武骨な扉絵は全然好みじゃない。
おまけに407ページと分厚い。読むのが大変そうだ。
たぶん…、本に添えられていたポップに魅かれたのだろう。
書店のスタッフが書いたのか、出版元から送られてきたものなのか、そこには著者本人の「虐待、貧困、ブラック企業などを経験していない私が、果たして書いてもいいのだろうか」という言葉。
書いてもいいのだろうか…と逡巡することは、私にもある。
まぁ、言葉に伴う責任のレベルはけた違いに低いが。
【夜が明ける】のあらすじ
同級生の深沢暁(ふかざわあきら)にアキ・マケライネンのことを教えたのは俺。
高校生の時だった。
身体が大きくて、吃音があり、2~3人殺してきたような、ある意味異様な風貌の暁は、同級生に怖がられ遠巻きにされていた。
だが「お前はアキ・マケライネンにそっくりだ」と俺が言ったことで、マケライネン主演映画【男たちの朝】を繰り返し視聴。
すっかり気に入って、マケライネンの話し方、歩き方、動き方を真似し、フィンランド語のセリフも覚えてしまった。
そうして暁はアキになった。
高校を卒業したら働くというアキは、在学中からガソリンスタンドでアルバイトをしていて、爪はいつも真っ黒に汚れていた。
なんの苦労もなく、進学するつもりだった俺は、それが少し羨ましい。
アキの方が先に社会を知り、アキのほうが先に大人になったようで。
だが運命のいたずらか、俺の親父が急死する。
母親と俺はたちまち生活に困窮する。
父の友人で、弁護士の中島さんの助けを借りて、なんとか親子二人の生活が立ちゆくようにし、奨学金を借りて進学。
奨学金は、就職してから働いて返そうと思っていた。
4年後、キー局の下請け制作会社に就職。
マスコミにこだわり続け、やっともらった内定だった。
世の中にくさびを打ち込むような、ドキュメンタリーを撮りたい、それが俺の夢だった。
だが現実はままならず、下っ端のADとして、現場を駆けずり回る日々。
奨学金の返済は、月々15000円。
それが精いっぱいだった。
働いても、働いても、働いても、さらに忙しくなる。
もちろん残業代なんかつかない。
ろくに睡眠も取れず、次の現場へ。
年下の局員に顎で使われ、理不尽な要求をされ、無能扱いされてヘラヘラし、局員の不手際の尻拭いを命じられても文句も言えない。
そこにパワハラやセクハラも加わり、俺の人生は坂道を転がり落ちるばかり。
アキはといえば、高校卒業後、マケライネンと同じ俳優になりたくて、劇団員になった。
献身的に劇団に尽くすが、想いを寄せた小柄な女性に「アキ君が怖い」と言われ、劇団を去ることに。
たちまち食い詰めて、たどり着いた果てが、そっくりさんを売りにする妙なバー。
アキの人生も、雪だるまのように転落の一途をたどる。
【男たちの朝】ってなに? アキ・マケライネンって誰?
長い小説の最初の文章は「アキ・マケライネンのことをあいつに教えたのは俺だ。」
そこで誰もが思うだろう、アキ・マケライネンって誰?…と。
早速調べてみたが、なにもヒットしない。
映画【男たちの朝】も俳優・マケライネンも実在しなかった。
架空の映画であり、架空の人物なのだ。
だがあまりにもリアルに描かれているので、フィンランドにはそんな個性派俳優がいるのだろう…と、コロッと騙されてしまう。
映画も俳優も、この小説の中でひじょうに重要な役割を担っている。
暁はマケライネンになりきることで、俺はそんな暁に生き方の指針を与えたと思うことで、それぞれ辛すぎる現実を生きようとする。
Chikakoの感想
重い…。
描かれる世界も読後感も、とにかく重い。
あがけばあがくほど、泥沼に沈み込んでいく人生を、どうすればいいのか。
暁と俺の高校から33歳までの日々が、平行して描かれるが、ほぼ希望がない。
頑張っても努力しても這い上がれず、やがて諦めて投げやりになり、ぼろ雑巾のように疲れ果てる…それが人生なのか。
泥沼の中から、なんとかみんなで這い上がろうとするのではなく、お互いに足を引っ張り合う。
自分のボロボロ加減から目をそらすために、人が傷つくのが見たい。
この深い闇のような”夜”にも、いつかは夜明けがくるのだろうか。
言葉では知っている、貧困や虐待やワーキングプアが、暁や俺の人生を通して迫ってくる。
尊厳なんてあったもんじゃない。
自分がそんな場所にいたら、どうすればいいのか?
そんな場所にいる人を見たら、どうすればいいのか?
実際には知らないのに、そんな世界を描ききる作家の技量に圧倒される。
俺の後輩、森の言葉。
『仲良いから、美しいから、正しいから権利があるのではなくって、私たちは、どんなにクズでも、ダメな人間でも、生きてるから、権利があるんじゃないの?』
本の巻末には、たいてい他の作家による解説が収録されるが、本書にはない。
この本の解説はあまりに難しくて、敬遠されたのだろうか。
社会の底辺で溺れかけている暁と俺の日々は読むに忍びなく、かといって本を閉じることもできず、どんどん暗くなるのに引きこまれていく不思議な世界だった。