恩赦とは、王様や大統領や首長が、何か国家レベルのおめでたいことに免じて、罪を赦してくれる制度です。
法的な罪については、偉い人たちにお任せするとして、私たちも個人レベルで恩赦を出してみませんか、改元の記念に。
誰にだって、アイツだけは許せないと思う人の一人や二人はいるでしょう。
誰にだって、あの屈辱だけは忘れないと思う出来事の一つや二つはあるでしょう。
誰にだって、癒しがたい傷の一つや二つはあるでしょう。
信頼していた人に、後ろ足で砂かけられたり。
友人だと思っていた人に、強烈な掌返しをくらったり。
尊敬していた人に、理不尽な仕打ちをされたり。
…そんな時、私たちは心に刻むよね、絶対に赦さない、絶対に忘れない、もう二度と心を開かない…と。
だってすごくショックだったから。
ものすごく傷ついたから。
目が溶けるほど泣いたから。
その心の痛みは、確かに本当だと思います。
すごくすごく辛かったのも、立ち直るのに相当の時間を要したのも、分かります。
ただね、そうやってほの暗い怒りを握りしめていると、それは貴方自身をさらに傷つけることになります。
心理分析士・長谷川泰三氏は、これを二丁拳銃の法則と呼びました。
相手に怒りや攻撃の銃口を向ける時、私たちの手にはもう1丁の拳銃が握られていて、その銃口は自分に向いているのです。
相手に引き金を引くと、同時に弾は自分に向けて放たれる…。
怒りや恨みは、私たちの心が平安であることを、よしとしません。
握りしめた怒りは、自分の中でブスブスとくすぶり、時にはフツフツと煮えたぎり、火柱のように燃え上がり、そして貴方自身を焼き尽くすのです。
貴方に耐え難い苦しみを与えた相手…、ひどいよね。
人としてありえないよね。
でもあえてその人を赦すことは、貴方自身が赦されることになります。
相手に向けた銃口を下ろすことは、自分に向けられた銃口を下ろすことになるから…。
握りしめていると、苦しいでしょう?
忘れてしまいたいのに、いつもその出来事や相手のことを考えてしまうでしょう?
赦せない…というその想い、いつまで握りしめていましょうか?
この世の終わりまで?
自分がこの世を去る日まで?
それまでずっと銃口を自分に向け続けながら、生きていきますか?
怒りや恨みの感情は、新しい時代にそぐいません。
赦すことは、決して負けることじゃない。
むしろ勝利だと思います。
…自分の弱さへの。
手放し難きを手放せば、得るべきを得る。
赦し難きを赦せば、自分に平穏が訪れる。
令和になって、お祝いの空気が満ちています。
新しい時代のスタートにあたって、その怒り、手放してみませんか?
貴方の愛ある恩赦として。