心理カウンセラー・心屋仁之助さんのブログにあった一節。
「信じると書いて、傷つく覚悟と読む」。
人を信じるとは、どういうことを指すのだろう…。
信用は、その人の背景や実績から、その能力や言動を疑わないこと。
信頼は、あるタスクや仕事を任せるに足る人物と判断すること。
では、信じるは?
信じるというのは、その人に対して心を開くことだと、私は思う。
鎧を脱いで、心の柔らかな部分を、無防備に見せる覚悟。
たとえそれで不都合なことが起こったとしても、それでもいいと思えること。
だけど心屋さんは、信じることは傷つくことと紙一重だと言う。
相手が自分に仇なすかもしれない…なんて思ったら、誰だって怖くて心を開くことなんてできない。
この人は、私を裏切るかもしれない。
裏では陰口をたたいているかもしれない。
味方の顔をしていても、巧妙に私を陥れるかもしれない。
そんな風に疑ってしまったら、身構えるし、幾重にもバリアーを張る。
本当の気持ちは、笑顔の裏に隠して、触れられないようにしっかり守る。
だって………、傷つきたくないから。
それは閉じた心と閉じた心のおつきあい。
きれいな心地よい言葉のやりとり。
表面だけをさらっとなぞる、深みのない関係。
なにが起こったって、これなら傷つかないし、たとえ傷ついても痛みが最小限だから。
自分を守ることが最優先であれば、そんな関係を築くしかない。
…でも、それでいい?
「傷ついてもいい」、そんな覚悟がなければ、社交辞令の域を越えられない。
仁さんが言うのは、そういうことかな。
結局は、勇気に行きつくのか。
怖さを克服してのその一歩に、幸多からんことを。