私たちの家が片づかない最大の原因は、モノが多すぎることでした。
多すぎるのなら、どうすればいいか?
答えはシンプル。減らせばいいのです。
何を減らすか?…そう、捨てるためには、基準が必要ですね。
捨てる基準① 時間軸は今
今、それを使いますか?
私たちが生きているのは、今という時です。
従って、目を向けるのは今。
過去でも未来でもなく、今です。
過去に便利だった、未来に使うかも…ではなくて、今に焦点を当てます。
いつか使うかも・・・の”いつか”って、いつですか?
そのあやふやな”いつか”は、きっと来ません。
いつか、いつかと思い続けて、はや○○年・・・なんてことにならないようにね。
捨てる基準② 重要軸は自分
誰が使うのか?私でしょ!
真ん中に据えるのは自分。
私がそれを使うのか?
自分の人生の主人公たる自分が、それを使いたいと思っているのか?
家族が、友人が、知人が、社会が、被災地の人が・・・ではありませんよ。
誰かにもらったから、もったいないから、そこにあるから…という漠然とした理由の裏に、どんな心理が隠れているのか考えてみたことはありますか。
私は使うかな?…という視点でモノを見る時、新たな発見がいっぱいあると思います。
捨てる基準③ ”使えるか” ではなく ”使うか”
『使えるか・使えないか』で考えると、家にあるほとんどのモノは使えます。
使えるモノを捨てるなんて・・・、心がシクシク痛みますね。
それはどうしてかというと、私たちはそう教育されているからです。
モノは大切に使いましょう。
壊れても、破れても、不要になっても、安易に捨ててはいけません。
この教えは、モノのない時代には、有効に機能しました。
戦前・戦後、なにもかもが足りない中で、日本人は限られた資源を最大限に使い回しました。
何度も繕い、何度も修理し、何度も切り貼りして・・・。
しかし、時代は変わりました。
たくさんのモノに囲まれて、使い切れないモノを所有して、限られた住空間をモノで溢れさせて、私たちは今、モノがありすぎることで、苦労しています。
使えるモノを捨ててはいけないというのは、70年前の価値観です。
今の時代に即していません。
モノあまり時代の捨てる基準は、”使うか・使わないか”です。
使えるけれど、使わないモノは、手元に置いておいても何の役にも立ちません。
新しい基準で考える
捨てる行為に、罪悪感は付きものです。
ですが、心が痛いからといって、全てのモノを留めておけば、住まいはモノに乗っ取られてしまいます。
取り入れすぎてしまったことを反省し、使い切れなかったモノに「ごめんね」と謝りつつ、モノに明け渡してしまった自分の空間を、今度こそ取り戻しましょう。
捨てる基準は「今、私が、使うか・使わないか」です。