衝撃のデビュー作「告白」以来、読み応えのある小説を次々世に送り出す湊かなえ。
新作が出る度に、ドキドキしながらページをめくる。
こんな物語を紡ぎ出せるなんて、いったい彼女の頭の中は、どんな構造になっているのだろう。
伏線に次ぐ伏線。
取るに足らない小さな点が、物語が進むにつれ、大きな意味を持っていたり、ほかの点と繋がっていたり。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の面白さは、序盤の伏線を次々回収していくところにある…と誰かが言ったが、湊かなえの小説にも通ずるところがある。
落日のあらすじ
物語は新進気鋭の映画監督・長谷部香と、売れない脚本家・甲斐千尋(本名・真尋)の出会いから始まる。
監督は、千尋の郷里で起こった殺人事件を題材に、次の映画を撮りたいという。
笹塚町一家殺害事件。
15年前、引きこもりの男性が、高校生の妹を自宅で刺殺し、家に放火。就寝中の両親も焼死したという痛ましい事件だ。
犯人の男性は、罪状を争うことなく、死刑判決を受け入れた。
確かに衝撃的な事件ではあるが、海外の賞も取った監督が、題材に選ぶような事件だろうか…と、千尋は不思議に思う。
だが監督には、被害者の女性とおぼしき人物と、わずかな、だが忘れ得ぬ繋がりがあった。
幼い頃に、防火扉の下からのぞく小さな手に触れた。
事情があって声を出せず、指で絵を描いたり、トントンと合図を送ったりして、コミュニケーションをはかった。
相手の顔を見たことはない。知っているのは、その指先のぬくもり。
そしてそのわずかなぬくもりが、心の支えだった。
だから、監督はただただ知りたいのだ。
その指の主が、被害者の女性だったのか…と。
一方、千尋にも秘密があった。
大好きな姉・千穂は、ピアニストを目指していた。
たくさんのコンクールで賞を取り、将来はフランスに留学するはずだった千穂。
千尋は、その日にあったことを、千穂にメールで報告するのが日課になっていた。
だがそのメールは、千穂に届いていない。
いくつもの点が繋がって…
監督と千尋の生い立ちが、平行して語られる。
実は二人とも笹塚町出身。
監督は子どもの頃に笹塚町を離れ、千尋は高校卒業まで町で育つ。
二人の接点はそれだけ。
千尋は事件のことは、ああ、そんなことがあったな…程度にしか知らなかった。
師匠の大畑凛子と、この映画の脚本を競うことになり、改めて事件について調べ始める。
そして明らかになる真実。
笹塚町一家殺害事件は、千尋にも接点があるどころか…。
事件を通して見る自分の過去
もっと堂々としていればいいのに、監督は口癖のように「ごめんなさい」と謝る。
千尋はすぐ苛立つ性格で、監督に対してもつい尖った口調でつっかかる。
なかなか分かり合えない二人が、真実を探る旅に出る。
犯人の男性は、本当に血も涙もない残酷無比な人間なのか。
殺害の動機は、本当はどこにあるのか。
裁判は、本当に真実をあぶり出したのか。
表に見えていることではなく、「本当」のところはどうだったのか…と、追求していく二人。
監督にとって、知ることは救いなのだった。
では千尋にとっては?
今まで師匠の下で、ぼんやりと修行をしてきた。
たいした野心もなく、採用されたのは、何年も前に書いた、2時間ドラマ1本だけ。
貴女の書く登場人物はいつも同じ…と指摘されるが、自分の枠から脱却できない。
今度こそ彼女は、自分の中から湧き出る物語を書くことができるのだろうか。
知ることは救い
真実を知ることが、救いになる。
笹塚町事件の真相だけでなく、父親の死因や同級生の遺書の改ざん、姉の恋や事故の原因など、いろいろな真実がひとつひとつ明らかになる。
そうして、真実を知った人たちは、心の重荷を下ろしたり、安堵の涙を流したり、決着をつけたりする。
長い間、次の一歩を踏み出せなかったが、知ることでまた歩き出す勇気を得るのだ。
何度も出てくる、海に落ちる夕陽のシーン。
笹塚町の鉄塔から見る夕陽が、それぞれの心に連れてくるのは、どんな想いなのだろうか。
湊かなえは語る。
「大切な人を亡くしたとして、真実を知ることが怖くても、例えば、亡くなる前のエピソードとか、自殺ではなかったかもしれないと分かるだけで救いになる。
死者が生き返るわけではなくても、生きている人の生き方が変わる。
日が沈むからこそ、また昇る。
そういう解決方法を提示したかったし、タイトルに込めました」
(日経エンタテインメントのインタビュー)