砥上裕將さんの本は2冊目。
1冊目の【線は、僕を描く】は、水墨画の話だった。
冴えない大学生が水墨画と巡り会い、魅せられて、のめり込んでいく物語。
水墨画なんて、掛け軸の中にしかないような遠い世界だった。
水墨画を描く過程や白い紙と墨が織りなす奥深さが丁寧に綴られ、いつの間にか読者も吸い込まれていく…そんな本だった。
書店で砥上氏の2作目の本書を見つけた時、迷わず手に取った。
【7.5グラムの奇跡】のあらすじ
タイトルの7.5グラムとは、なんの重さだろうか?
実はこれ、成人の眼球の重さ。
人の目は、前口径約24mm、重量約7.5gm、容積約6.5㎖。
その小さな世界に光が宿る。
野宮恭一は、新卒の視能訓練士。
視能訓練士とは、眼科における検査技師のこと。
いくつもの精密機器を駆使して、目の検査をするパラメディカルだ。
大学4年の冬、学年で一人だけ就職が決まらず焦っていた野宮は、ぎりぎりのところで北見眼科医院に採用される。
優しくも厳しい先輩技師の広瀬先輩、野宮を荷物持ちにする看護師の丘本さん、筋肉モリモリの看護師・剛田君、おっとりした北見先生たちに、指導されたり、叱られたり、褒められたりしながら、野宮は眼科の仕事を覚えていく。
患者さんとの関わりや目の病気を通して、見えるということがどれほどの奇跡なのかを、野宮は日々、改めて噛みしめる。
第2話「瞳の中の月」に登場する玉置遥香。
看護師の丘本さんの友人で、丘本さんは趣味のカメラで遥香を撮る。
だが遥香は、目が真っ赤に充血し痛みもあるというのに、カラーコンタクトを外さない。
野宮と丘本さんがコンタクトを正しく使う必要性を説いても、聞き入れない。
だが丘本さんの再三にわたる説得で、しぶしぶ検診にやってきた。
検査と診察の結果、長時間のコンタクト使用で角膜に傷がついていることが判明。
その上、円錐角膜という病気まで。
このまま放置すれば失明の可能性もある。
それなのに、遥香はカラコンを外せないと言う。
カラコンなしでは、人前に出られない…と。
遥香は深く傷ついていた。
丘本さんが彼女の写真を撮るのは、遥香に自信を取り戻させたいという気持ちからだった。
遥香をそこまで頑なにしたのは、元彼の心ないひと言。
そのひと言が、失明の危険があってもをカラコンを外せないほど、彼女を追い詰めた。
だが自分の言葉がもたらした結果を、元彼は今も知らないのだろう。
病気に向き合うとは、病巣だけを見ることではなく、心の傷も含めたトータルなその人自身と向き合うこと。
カラコンに執着する心のブロックを外さない限り、治療は始められない。
さて、野宮と丘本さんは、どうやって遥香の心を溶かすのか。
最近よく見えないという7歳のとも子ちゃん、緑内障で徐々に視野が狭くなる恐怖にさいなまれる門村さん、認知症の夫の通院に寄り添う葉子さん、ブドウ膜炎は治っているのに視力が戻らない中学生の木村君、それぞれの症状や悩みとそれにまつわる事情や心模様が、確かな筆致で描かれる。
「大切な人に向けることのできるこんな微笑みがあるなら、こんな優しい瞳があるなら、僕はあなたを本当に美しい人だと思います。」
Chikakoの感想
目は心の窓。
皮膚や毛髪や爪に守られることなく、外界に向かって開かれている。
その無防備な窓からは、様々な情報が飛び込んでくる。
心が和む情報もあれば、ささくれや傷を残す情報もある。
好むと好まざるに関わらず、その両方を私たちは見る。
そして心の奥底にあるものもまた、瞳に映し出される。
最近、誰かの瞳をじっと見つめたことがあるだろうか?
のぞき、のぞきこまれると、ちょっと気恥ずかしくてなって、目を逸らしてしまう。
それほどまでに物言わぬ瞳は、雄弁に語るのだ。
『野宮さんは、誰かの目をまっすぐ見てお話されるのですね。
珍しい雰囲気の方だなあと思いました。
まっすぐに言葉を受け取ってもらえるような、そんな気がするのです。
まっすぐに相手を見て話をする。当たり前のことのような感じがしますが、案外そうでもないのだと思うことがあります。』
まぶたを開ければ見える…、それがどれほどの奇跡なのか、5つのエピソードを通して作者は語りかけてくる。
心の窓の物語だけに、心理に関係することが多く、そういう話が大好物な私には大当たりの本だった。
あまり馴染みのない眼科の検査についても、詳しく説明されている。
私は視力が悪いので、眼科とは長いお付き合いだ。
言われるままに数々の検査を受けているが、ああ、あれはこういうことを調べていたのか…と、今更ながらに分かって面白い。
わずか7.5gmの小さな球体に、私たちは宇宙とも言うべき深淵なる世界を抱えている。
読後は、その果てしない宇宙に想いを馳せずにいられない。