12月25日のクリスマスまで、ひとつずつおもちゃやお菓子を集めるアドベントカレンダー。
私はひとつずつ、しあわせの種を集めています。
December 12
実は今日は弟の誕生日。
私と弟は6歳違いの二人姉弟。
年が離れているので、一緒に遊ぶ対象ではなく、どちらかというとお世話をする対象だった。
両親は「お姉ちゃんなんだから!」を連発したが、6歳差があるとはいえ、私もまだ子ども。
いきなりお姉ちゃんにさせられて、なんだかな・・・と思っていた。
おまけに父が、「男の子を産んでくれて、ありがとう」なんて言ったものだから、じゃあ、女の子の私はなんなのよ!・・・とも。
そういう複雑な嫉妬心のなせる業か、よくからかったり、意地悪したりした。
もう時効だとは思うけれど、あの時は、すまなかった。申し訳ない。
だが小さな弟は、いつも私の後を追いかけてきた。
私が遊びに行こうとすると、目ざとくみつけて、一緒に行こうとする。
私が小4の時、彼は年少さん。私が小6の時、彼は年長さん。
体力も遊びも全然違うから、私は邪魔に思って、容赦なく置き去りにした。
ある日、外に出た私は、後ろに弟がいるのを知っていた。
だがそのままスピードを緩めず、走った。
すると後ろで、ギャッという悲鳴が。
振り返ると、道で弟がうずくまっている。
必死で走る内に、口の中にあったあめ玉が気管に入ってしまったのだ。
あめ玉がつかえて息が苦しくなった弟を母が負ぶい、私が靴や保険証を持って、近所の耳鼻科に駆け込んだ。
大事には至らなかったけれど、私もこっぴどく叱られた。
返す返すも、あの時は、すまなかった。m(_ _)m
父が病死した時、弟は7歳だった。
自分が子育てしてみて改めて分かったが、7歳にとっての親は、まだ自分存在のベースだ。
ベースを突然失って、どれほど心細かっただろうか。
だけど私も中学生で、そんなことまで思いやる余裕はなかったし、いきなり社会に放り出された母も同じだった。
今は児童心理学や子育てのノウハウが昔より遙かに充実していて、子どもの心にフォーカスが当たるようになった。
親の価値観の押しつけではなく、小さいなりに「どう感じているの?」と聞いてあげられる大人が増えている。
でも45年前、弟の気持ちに寄り添ってくれる人は、いなかったのではないかと思う。
仕方がなかったとはいえ、不遇だったな。
そんな弟も今では50を過ぎた立派なオジサンだ。
10年前に結婚したが、今でも新婚さんみたいに仲がいい。
支え、支えられる相手を得て、現在が一番幸せなのかも知れない。
そんな姿を見ていると、私も嬉しくなる。
お誕生日、おめでとう。
君の毎日が幸せであることを、心から願っている。